2011.5.5 |
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真のリーダーは必ず「下から現れる」 |
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京都大学の中西輝政教授の心に響く言葉より…
今のリーダーに決定的に欠如しているもの。
それは肚(はら)である。
部下に判断は任せ、最後の責任は自分が取る、という覚悟である。
優れたリーダーというのはある日、天からヘリコプターで降りてきて、
アッという間に難問を解決してくれるわけではない。
特に日本ではこれまでの歴史を見ても、真のリーダーは必ず「下から現れる」のである。
そして明治の優れたリーダーたちが激動の時代を懸命に生きる草莽(そうもう)、
つまり国民自身の間から立ち上がったように、
庶民、国民のしっかりした覚悟の上にしか立派なリーダーは現れてこないのである。
私は、この度の震災で多くの国民の間にそのことに目覚め始めている兆しが見えることに、
一縷(いちる)の希望を見出している。
原発の放射能漏れで大騒ぎになった時、関東地方では多くの外国人が逃げ出した。
それを見て、逃げ出したい衝動に駆られた日本人はもちろんいただろう。
しかし、日本人であれば逃げるところは他にどこもない。
所詮、この列島と運命をともにするしかないのである。
私は、ここが出発点だと思うのである。
その覚悟を決めることが、いま国民に求めれているのである。
なるほど、この日本列島は世界でも稀(まれ)なほど危険な「災害列島」である。
しかし、我々にとっては、またこれほど素晴らしい故郷は他にないのである。
この震災を機に、多くの日本人がそこをしっかり見据えることができれば、
日本の将来にとって非常に大きな意味を持つことになるだろう。
明治の優れたリーダーたちはいずれも、大震災が相次ぎ、
外敵の侵略で国家滅亡を目の前にした国民がその幕末の危機をともに乗り越えようと、
覚悟を決めて新しい時代に飛び込む中から生まれてきたのである。
危機が国民を鍛えるのである。
優れたリーダーというのは、そのように国民の意識が転換してからでなければ出てこない。
戦後の高度成長を経て豊かになった日本人は、いつしか「カネさえ、
モノさえあれば幸せになる」と錯覚してしまっていた。
そこからさらに自立心を失い、何ごとも他人に頼ろうとする依存体質が染みついてしまった。
我々はここで謙虚に頭を垂れ、己の小ささをもう一度見つめなおさなければならない。
そして、戦後の間違った歩みによってこの国を覆っていた邪気と無気力を払拭(ふっしょく)し、
国民が本当に大切なものに目覚め、覚悟を決めて新しい一歩を踏み出せば、
震災で犠牲になられた方々の魂もきっと浮かばれるに違いない。
その時、それに相応(ふさわ)しい立派なリーダーが必ず出てくる。
私はそう確信している。
『危機を乗り越える宰相の条件』「月刊致知」6月号《致知出版社》
「弱い首相の時に限って大事件や大震災が起こる」とは、
危機管理の専門家、佐々淳行氏の有名な言葉だ。
弱い首相には、肚(はら)がない。
西郷隆盛は江戸無血開城の立役者、幕臣の山岡鉄舟を評してこう言ったという。
「徳川公は偉い宝をお持ちだ。山岡さんという人は、どうのこうのと言葉では言い尽くせぬが、
なに分にも腑(ふ)の抜けた人でござる。
金もいらぬ名誉もいらぬ。命もいらぬといった始末に困る人ですが、
あんなに始末に困る人ならでは、お互いに腹を開けて、共に日本の大事を誓い合うわけにはまいりません。
本当に無我無私、大我大欲の人物とは、山岡さんのごとき人でしょう」と。
(感奮語録より)
肚がある人は、無我無私でありながら、なお同時に、大我大欲を持っている人。
我がことに関しては、金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬと恬淡(てんたん)としているが、
一旦、国の危急存亡のときにあっては、お国のため、天下の万民のことを考えて行動する大我大欲がある。
ひとり、この山岡鉄舟の力によって、江戸は火の海から救われたといっても過言ではない。
我々は、この日本を逃げるわけにはいかない。
今こそ我々国民が、肚をきめ、この一つ所に命を懸けるという、一所懸命になって国を再興するしかない。
そうすれば、必ずや、真のリーダーが生まれてくるはずだ。 |
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