2011.5.4 |
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太閤さんの心がけ |
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山田無文老師の心に響く言葉より…
ある人が、太閤(たいこう)さんに尋ねたそうです。
「あなたは、大変なご出世をなすって、位人臣(くらいじんしん)を極められたわけですが、
さぞかしお若い時から、余人とは異なったお心がけがあったことと思います。
いったいどんなお心がけで、太閤さんにまでもご出世なさったのですか。
我々の参考のためにお聞かせ願いたい」と。
すると、太閤さんが、
「わしは、太閤になろうなどと思ったことは一度もない。
ただ足軽の時は、一心に、喜んで足軽のつとめを果たしただけだ。
すると、いつのまにやら士分になった。
士分の時には、また喜んで、一心に士分のつとめを果たしたのだ。
すると、いつのまにやら大名になった。
大名になったらからには、ますます励んで大名のつとめをした。
そしたら、いつのまにやら天下を取ることになり、太閤にまでさせられてしまったわけだ。
だから、一度も太閤になろうなどと心がけたことはない」
と答えられたということであります。
とかく、わたくしどもは、結果を求めることばかりあせって、
却下がお留守になり、今日のおつとめを怠りがちでありますが、そこに失敗の原因があります。
その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、未来の成功は、
おのずから席をあけて待っておるのであります。
『愛語』禅文化研究所
もし仮に、秀吉が足軽の頃、努力もせずに「太閤になりたい」と周りの者に話していたら、どうだっただろう。
上司や、同僚からは好かれず、出世することはなかっただろう。
どんなに偉くなった人であっても、下積みの時代は必ずある。
しかし、その人が出世するには、その上司の引き上げがなければ上に行くことはできない。
下積みのときに上の者から可愛がられない人は、永久に出世できない。
昨今は、夢、夢と夢を語る人が多いが、
目の前の仕事に一所懸命でない人が夢を語っても誰も聞く人はいない。
脚下照顧(きゃっかしょうこ)という禅語がある。
自分の足元をみつめなさい、ということだ。
我々はとかく、先へ先へと考える傾向がある。
「今、このただ今」を必死で生きたその上に夢がある。
目の前にある現実に、ただひたすら一所懸命取り組む姿に人は感動する。 |
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