2011.4.10 |
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誰と一緒に |
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小林正観さんの心に響く言葉より…
お釈迦さまの第一の尊者と言われた、アーナンダはあるときお釈迦さまにこう言ったそうです。
「お師匠さま、今日、私はあることで突然、頭の中に閃(ひらめ)きが生じました。
私たちは《聖なる道》というのを追い求めているわけですが、
もしかしたら、よき友を得るということは
《聖なる道》の半ばを手に入れたと言っていいのではないでしょうか」
《聖なる道》というのは、自分の中に悩み、苦しみ、煩悩がなくて、
いつも幸せで楽しくて執着がない状態ですね。
すると釈迦は
「アーナンダよ、“良き友”を得られたら、その《聖なる道》の半ばを手に入れたということではない」
と言ったんです。
釈迦は言葉を続けて
「アーナンダよ、良き友を得ることは《聖なる道》の半ばではなく
《聖なる道》のすべてを手に入れることである」。
同じ価値観をもち、同じ方向に向っている人たちを自分の友人にすることが、実は人生のすべてなんです。
『で、何が問題なんですか』弘園社
どこへ行くかというより、「誰と一緒に行くか」、何を食べるのかというより、「誰と一緒に食べるのか」…
人生の究極の目的や楽しみは、同じ方向、同じ価値観をもった友がいるかどうかだ、
とお釈迦さまは言ったという。
同じ方向性と、価値観を持った人と一緒なら、どこへ行こうと何を食べようと楽しいし、
反対にどんなに苦しいことでも頑張ることができる。
ただし、いうまでもないことだが、悪の価値観を持った人たちが仲間だとしたら、
本人は気づかなくても、生きながらにして、地獄のような悲惨な世界にいるとしかいいようがない。
その人が、誰と付き合っているか、友人や仲間を見るとその人のレベルが分かる。
怒鳴ったり、人を非難し、文句や、悪口をいい続けているのが仲間なら、
マンションで言えば、自分もそのレベルの階の住人となってしまう。
どんなに高邁な理想を掲げ、世のため人のため、などと言っていても、
実際の言動や行動で、人を脅かしたり、がっくりすることを言って、
まわりの人を嫌な気持にする人が友なら、同じレベルの住人といわざるをえない。
いつも笑顔で、うれしい、楽しい、幸せ、ありがとう、と感謝多き人が友なら、
天国のような階の住人と言える。
世の中が混沌としたときや、自分にパワーがなくなっているときは、
とかく、表面的な言動や、目立つパフォーマンスに惑わされやすい。
「誰と一緒に」、は忘れてはいけないとても大切なこと。 |
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