2011.3.8 |
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運力がある人 |
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天外伺朗(てんげしろう)氏の心に響く言葉より…
運命というのは、海の波と同じようなものではないか。
たしかに目で見るとピークがあり、ボトムもある。
しかし、ボトムといえどもエネルギーがないわけではない。
ピークとまったく同じエネルギーを保有する。
つまり、人生で次々に遭遇する出来事には「いい運命」も「悪い運命」もなく、
宇宙はヒタヒタと同じだけのエネルギーを運んでくる。
それに私たちが、勝手に「いい」とか、「悪い」とかレッテルを貼っているにすぎないのだ。
病気になったときでも、「コンチクショー、何でこんな病気になったんだ!」と思えば、
「悪い運命」だし、「おかげでこんな気づきが得られた」と思えば「いい運命」になる。
「運命を変えたい」という願望は、波のボトムを逃れて、ずーっとピークにとどまりたいということだ。
これは、はっきりいって無理な相談だ。
ピークだけの波は存在しない。
ピークとボトムでお互いにエネルギーを交換するからこそ、波ができ、進んでいくことができる。
つまり、ボトムをしっかりとしのぐことが、次のピークを迎える準備になるのだ。
ところが、人間というのは哀しい生き物である。
ピークのときはこれが永遠に続くと思い、自分は実力があるからこの状態が正常だと錯覚する。
ボトムのときは「こんなはずはない」、「何かがおかしい」ともがき、早くピークに戻らなければ、とあせる。
人生がおかしくなる、ひとつの典型的なパターンが、ボトムのときにあせりまくり、
ジタバタして道をふみはずしてしまうことだ。
つまり、自分で「悪い運命」というレッテルを、あまりにも強固に張りつけるものだから、
まさにそのレッテルどおりに自らを追い込んでしまう。
私たちが遭遇する出来事は、本当はどれも「宇宙のはからい」なのだ。
「悪い運命」というのは外からくるのではなく、本人の精神的な未熟さが、
それを捏造(ねつぞう)してしまうのである。
人は、精神的な成長が進むと、ピークでも有頂天にならず、ボトムでもあせることなく、
執着を手放し、淡々と生き、「宇宙のはからい」をそのまま受けとることができるようになる。
そういう人を「運力」がある、という。
災難にあう時節には、災難にあうがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
これはこれ災難ののがれる妙法にて候
(良寛)
あのときのあの苦しみも、
あのときのあの悲しみも、
みんな肥料になったんだなぁ
自分が自分になるための
(相田みつを)
『経営者の運力』講談社
運とは、波のようなもので、ボトム(底)だけが続くこともないし、ピーク(頂上)だけになることもない、という。
波は、ピークのときはポテンシャルエネルギーは最大となるが、速度エネルギーはゼロとなる。
また、ボトムのときは、その反対にポテンシャルエネルギーはゼロだが、速度エネルギーは最大となる。
両方のエネルギーを合計すると、ピークもボトムもなく、どの位置を取ってもエネルギー量は同じだと、
天外氏は言う。
ジェットコースターの頂上にたどり着いたときには、一瞬、速度はなくなる。
しかし、頂上から急降下して、谷底に着くときにはスピードは一番早くなっている。
我々は、うまく行かなくなって、どん底に落ちたとき、それがいつまでも続く気がする。
つまり、駄目になるスピードがどんどん加速している感じとなる。
しかし、波の原理からいうなら、底に着いたときには、ポテンシャルエネルギーはゼロ。
ということは、どん底にいるときは、ジタバタせず、ゆっくりとして、英気を養った方がいい。
すると、どん底から反転して、頂上に向かって、スピードをつけて登っていく。
どん底のときを、悪い運命と思えば、悪い運命となり、それを「ありがたい」と思えば、「いい運命」となる。
「勝っておごらず、負けてくさらず」の気持ちで、運力がある人になりたい。 |
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