2011.3.6 |
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子供が最後に学ぶ大きな教え |
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緩和医療医の大津秀一氏の心に響く言葉より…
「いま」という時が明日もあさってもずっと続いていくと思うと、
いつまで経ってもバトンタッチをするという感覚がない。
譲れないで引き際を逃がす。
最近崩壊した独裁政権のようです。
やるべきことをやって、後に託す、それができないままにどんどん日が経ってしまい、
気がついたらもう終わりが来てしまうことになる。
だから、終わりを見据えることで、終わりを見つめ尽くすことで、
どうやって生きるかが大事になってくることを知る。
自らの思いをどう後進に刻んでいくのかを知る。
最近増えているのは「トラウマになってしまうから親の死に目に子供を呼ぶな」という考え方です。
身内の死というのは、子供が最後に学ぶ大きな教えであるにもかかわらず、
その機会を奪われてしまっているんです。
本当はそこを直視することでいろんなものが見えてくるのに、
それを隠していまおうとするところに問題があると思うんです。
(作家の青木新門氏と大津秀一氏の対談より)
『月刊致知』「先に旅立つ人たちに何を学ぶか」2011年4月号
子供には、できるだけ苦労をさせたくない、厳しい環境には置きたくない、
と思うのは誰もが願う親の切なる気持だ。
しかし、まるで無菌室のような状況で育て、成長したとしたら、子供はどうなるだろうか。
仏教には、「四苦八苦(しくはっく)」といって、生、老、病、死の四つの根源的な苦しみがあるという。
それに、さらに四つの苦しみを入れて、八苦というが、その中に「愛別離苦(あいべつりく)」がある。
「愛別離苦」とは、親子・兄弟・夫婦といった、愛するものと別れなければならない苦しみのことだ。
どんな人でも、この八つの苦しみから逃れることはできない。
年老いた両親と同居している家庭はたいへんだ。
だが逆に、身近に年配者がいるからこそ、多くの学びがあるとも言える。
死を身近に感じることは、トラウマでもなんでもない。
子供が最後に学ぶ大きな教えだ。
現実を直視しない限り、真実は見えない。
「命はバトンタッチ」
死と向き合うからこそ、生かされていることの「有り難さ」を感じることができる。 |
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