2011.2.23 |
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飢饉普請(ききんぶしん) |
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坂本啓一氏の心に響く言葉より…
日本の商人道を確立したといわれる近江商人には「飢饉普請(ききんぶしん)」という言葉があります。
飢饉、つまり、その年の収穫が不作で、近隣農家が困っていたら、普請しなさい、ということです。
普請して、農家の人に働いてもらい、賃金を出しなさい。
お金を貯めるばかりではなく、飢饉のときこそ、出し惜しみすることなく使いなさい。
できるだけ長く働いてもらいなさい。
阪神・淡路大震災直後、ラーメン一杯5000円で売ったお店がありました。
同じとき、幸いにも自宅のガスや水は早く復旧したので、お風呂をご近所に開放した会社社長がいました。
社長の名前が「川上さん」と言ったので、「川上湯」とみんなに呼ばれ、感謝されていました。
さて、街が復興した後、くだんのラーメン店は倒産してしまいました。
一杯5000円で得た利益はどこにも残らなかったわけです。
一方、川上社長の会社は、震災前に比べ、10年後の現在、売上、利益共に5倍に成長しています。
社長を後進に譲り、自らは近隣のボランティア活動に忙しい毎日を送っておられます。
『気づいた人はうまくいく!』日本経済新聞出版社
以前、新潟市の北方(ほっぽう)文化博物館というところに行ったことがある。
ここは、江戸時代から昭和にかけ、新潟一の大地主であり、豪農だった伊藤家を博物館としたものだ。
全盛期に所有していた土地が、1300ヘクタールというから、東京ドーム300個分の広さだ。
伊藤家には、良寛和尚を始めとして、明治維新で活躍した
勝海舟や山岡鉄舟、西郷隆盛、伊藤博文らの書が所蔵され、当時のそうそうたる人物が訪れたという。
伊藤家は、飢饉のときには、近隣の困っている農民を集め、自宅の庭に穴を掘ったり、
築山を造ったり、また埋めたりという工事をさせ、仕事に出さえすれば誰にでも賃金を支払った。
ただお金を配るのではなく、仕事をさせて農民を救ったのだ。
伊藤家の家訓に、「田地買うなら精々悪田を選び、悪田を美田にして小作に返すべし」
というものがあるが、そこには小作人を大事にする、という気持ちがこめられている。
誰もが途方にくれる震災や、天災に出会ったとき、商人の本当の値打ちがわかる。
一時の利益に目がくらみ、他人の不幸につけいり、
小さな儲けを得ようとするものは、後に必ず衰退している。
反対に、困っているときはお互い様、と自分の損得を考えずに助けた者は、
のちのちまで隆々として繁栄している。
皆が困っているときは、飢饉普請までは出来ないにしても、
せめて損得は考えずに人のお役に立ちたい。 |
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