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2011.2.20

八百万(やおよろず)の神々

三橋健(みつはしたけし)氏の心に響く言葉より…

本居宣長(もとおりのりなが)は、『古事記伝』において、「カミ」を定義して、
「カミ」とは古典に記されている天の神・地の神たちをはじめ、鳥、獣、木、草、海、山など、
何であれ優れたるもの、かしこいものであると説いている。

「優れたる」とは、「尊きもの」だけでなく、「悪(あ)しきもの、奇(あや)しきもの」も入るとし、
さらに貴きも賤(いやし)きも、強きも弱きも、善きも悪しきもあると述べている。

ただ、そのようなものであっても、人の崇敬(すうけい)によって尊い神になるのであり、
人の崇敬がなかったら、神は妖怪変化へと零落(れいらく)するのである。

「八百万(やおよろず)の神」の思想の根底には、天地自然との共存共栄がある。

日本の神の中には、地域の神社にまつられている鎮守(ちんじゅ)の神、
道端の小さな祠(ほこら)にまつられている神々、
家のなかの神々、あるいは山・川・海・野などにまつられている神々、
古代の指導者や有力者を神格化した、いわば人霊が神としてまつられる例もある。

古代の人々は、自然と密着して暮らしていた。
しかし、この自然は恵みをもたらすかわりに、ときには猛威をふるった。
祖先たちはそこに人知を超えたものを感じ、まわりにある木、草、山、川、岩、風、雷など
あらゆる自然物に霊が宿ると信じ、それらを恐怖や畏怖の念をもって崇拝した。
そこに山の神、川の神、風の神などが成立していったと考えられる。

日本には多くの神々が存在するが、絶対の力をもった全知全能の神はいない。
神々はそれぞれにご利益を分担していて、人びともそのことをよく知っている。
受験生は天神さんに祈願し、縁結びは出雲の神様にお願いし、安産は水天宮(すいてんぐう)に祈願する。

日本人の神に対する考え方の特徴の一つに、神仏習合思想がある。
仏教が伝来しても、神々への信仰を捨てる必要を感じなかったし、仏は神の仲間であり、
それほど異質とは感じなかった。
日本の神々は、本地である仏・菩薩(ぼさつ)が人びとを救うために権(か)りにこの世に現われた姿、
すなわち権現(ごんげん)であると考えたのである。

さらに日本人は、仏教だけでなく、インド、中国、朝鮮半島などから渡来したさまざまな神を拒絶することなく、
むしろ共生させてきた。
これは世界の宗教史上でも注目すべきことである。

『日本の神々と神社』青春新書

明治の時代に、神様になった実在の人物がいる。

明治28年、九州佐賀で、死の病と恐れられたコレラが爆発的に流行した。
当時、佐賀の高串(たかぐし)地区にコレラ対策で派遣された増田敬太郎巡査は、
警察学校を出たばかりの新任の巡査だった。

村人達が病気の感染を恐れ、しりごみする中、一人で家の消毒をしたり、
コレラで亡くなった遺体を背負って埋葬したり、病人の看病をする等、不眠不休で対策に取り組んだ。
しかし、疲れきった増田巡査にも容赦なくコレラは襲い掛かり、
警察官になってまだ7日目の、27歳という若さで亡くなってしまった。

「私は、もはや回復の見込みはありません。
しかし、私が全部コレラを背負って行きますから安心してください」と遺言を残したそうだ。
その後、遺言通り、コレラが収まったという。
その献身的な行為に対し、村人は増田巡査を警神(けいしん)と称(たた)え、
増田神社として祀(まつ)っているという。

『巡査大明神全傳』(増田神社奉賛会)より抜粋引用

100年以上たった今でも、増田巡査の偉業と徳を称え、毎年増田祭りが行われているそうだ。

偉人の伝記や伝説は世界にはたくさんあるが、偉人の神社を造り、しかも毎年お祭りをし、
称えている国は日本以外には恐らくあまりないだろう。
しかも、それは、世に有名な偉人ではなく、いかにも身近にいそうな徳の高い人物。

神様になるのに、肩書や地位、年齢は問われない。
そこでは、「世のため人のためにいかに尽くしたか」、という無償の行為が問われるだけだ。

日本では、八百万の神や、それを祭る神社は、人びとが崇敬の念や、
畏敬の念を忘れないための場としては非常に重要なところだ。

世のため人のために尽くせば、神様にもなれる日本。
もっと日本の神々を崇敬し、その教えを後世に伝えたい。



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