2011.2.17 |
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ぼちぼちでええんや |
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森毅(もりつよし)氏の心に響く言葉より…
昔から、芸人とパトロンの関係というのは、芸人はパトロンの出した金をムダ使いし、
パトロンのほうでは、内心はともかく、それを「オモロイやっちゃ」と眺(なが)めるのが粋とされていた。
文化なんてものは、ムダを気にして生まれるはずもない。
日本だけでなくて、アメリカの大学のフットボールの試合中継を見ていて、ひどく感心したことがある。
負けかけたチームの応援団が、相手のチアガールのクイーンを拉致してきて、
みんなでラブソングのコーラスをやっておるのだ。
つまり、敵の応援団を軟化させて、また「おてやわらかに」ということらしい。
クイーンのほうも、若干はテレながらも、まんざらでもない風情。
ついでながら、粋であることと金のないこととは、十分に両立しうる。
江戸っ子たちは職人さんが多かったし、江戸文化の粋だって、
お屋敷ではなくてナメクジ長屋によって支えられていた。
粋であるためには、国家や学校などでなく、自らの美学を持たねばならぬ。
昔の関西の町屋だと、家で芝居を見に行く日は学校を休んだ。
家庭の文化は学校の文化に優先する。
『森毅の置き土産』青土社
「ぼちぼちでええんや。そのほうがうまく行く」(森毅)
どんなに忙しくても、森さんはのんびりしていた。
ノンビリするには勇気がいる。
我慢がいる。
とりわけ知恵がいる。
というのは世の中の構造が、せかして、動かして、引きまわすようにできているからだ。
…池内紀『森さんのこと』より
粋な人は、どんなに忙しくても、「忙しい」とは言わない。
余裕があるからだ。
皆がせわしい時に、自分だけ流れに逆らって、のんびりとしているのは勇気がいる。
日本では、皆と同じ方が問題が少ないからだ。
粋な人は、時としてやせ我慢をし、人と違うことを楽しむ。
損することや、不利になることも面白がったりする。
そして、どんなせっぱつまった局面でも、ユーモアや笑いがある。
時には、世の中に振り回されず、ぼちぼちやることも必要だ。 |
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