2011.2.14 |
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いのちは時間 |
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100歳の日野原重明先生の心に響く言葉より…
私は日本全国、北から南までできるだけたくさんの小学校で、
「君たちのいのちってなんだろう?」と問いかける授業を積極的におこなってきました。
具体的に説明しますと、まず、たくさんの果物をまえに置いて、
「君たちの心臓はどれくらいの大きさだと思う?」と聞きます。
だいたいの子は、リンゴなどを手に取りますので、
「違うよ、君の身体を動かす心臓はね、このレモンくらいの大きさなんだよ」と説明します。
そうすると、とてもびっくりした顔をします。
こんな小さいものが自分のいのちを支えているのか、と思うのです。
続けて聞きます。
「じゃあ、このレモンくらいの心臓に支えられる君のいのちって、
どこにあるんだろう?」そうすると、みんな一所懸命考えます。
そしていろいろな答えを出すのですが、いまいちピンときていない。
そこで私はこう答えます。
「いのちというのはね、目に見えないんだよ。
いのちは、君がこの世で使うことのできる時間なんだよ」と。
そうすると、さすがに子どもというのは直観力が鋭いですね、ハッとしてとても合点がいった顔をします。
その答えを出したうえで、彼らに一日をどう過ごしているか、円グラフを描かせます。
そうすると、大切な「いのちの時間」を、いかに他の人のために使っていないかということに気がつくようです。
ですから、それではダメなんだよ、と諭します。
「家の手伝いでも、地域の公共施設の掃除でも良い。
君の『いのちの時間』を他のいのちのためにも使わなければいけないよ。
人はそうやって、お互いの『いのちの時間』を分けあって生きていくものなんだよ」。
『子どもを輝かせる10のお話』実業之日本社
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは目に見えないんだよ」
とは、『星の王子さま』の中の有名な言葉だ。
現代医学でいくら解明しようとしても、「人のいのち」は心で見なければ分からない。
いのちを一本のローソクと考えるなら、ローソクの長さや太さは人によってそれぞれだ。
長くて太いのに、途中で自ら吹き消してしまう人もいる。
細くて、火も弱々しいのに、大事に使って、長い時間、灯がともっている人もいる。
大事なことは、その大切ないのちを、何のために使うかだ。
自分の我欲のためだけに、いのちを使うのか、あるいは、人の喜びのために使うのか。
「いのちは時間」
人のために、自分のいのちを燃やせる人でありたい。 |
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