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2011.1.16

人様から拝まれる人生

天台宗住職の三輪真純師の心に響く言葉より…

和歌山県の雑賀正晃さんという坊さんの「光を生きる」というご本のなかに、あったお話です。

雑賀さんのところへ一人の奥さんが訪ねてみえた。
お聞きすると、この奥さんは結婚されて二年目にお爺さんが中風で倒れてしまい、
全身不随になってしまわれた。

それから二年経たないうちに、今度はお婆ちゃんが中風で倒れて体の自由がきかなくなってしまった。
ところがそれから二年経たないうちに、屋根葺屋(ふきや)さんであったご主人が、
よその家の二階の屋根を葺(ふ)いているときに、足をすべらせて転落し下半身不随になってしまった。

つまり結婚して五年たたないうちに、全身不随二人、下半身不随一人をかかえて、
一人で田畑を耕しながら一生懸命にその三人の世話をなさってこられたのです。

雑賀さんはこう言った。
「仏様の教えは、『どちらでもなさい』ということです。
でもそう答えたのでは、さぞご不満でしょう。

いかにも思いやりのない無責任な返事のように思われるでしょうが、
実はどちらの道でもいけるからこそ、そう言ったまでのことです。

でもたったひとつだけ、はっきりしておかなければならないことがあります。
それは『蒔(ま)いた種は生える』ということです。

この世は因果(いんが)の道理で動いています。
逃げたければ、逃げることもできます。
ただし、逃げてもことはすみません。

逃げるということは、因果の果を果たさずにいくことですから、種が残っています。
種が残っている以上、果の出てくることは当然で、逃げ先で果を摘(つ)むだけのことです。
どの道でもあなたのお好きなように歩んでください」。

「先生、お恥ずかしいことをお聞きしました。受けてどこまでも背負っていきます」。

「よく言ってくださった。
仏さまもどんなに喜んでくださるでしょう。
あなたのその苦しみを代わってやれるものなら代わってやりたい。
でも業報(ごうほう)の世界はひとりひとりの世界なのです。
代わってやれないから、泣かずにはおられない。
それが仏さまの慈悲(じひ)なのです」。

それから、三年ほど経って、その奥さんが訪ねてこられました。
「ある日のことでした。
その日はいつになく元気で「いっぺん抱き起こしてくれないか」と、いうのです。
ちょっと上体をもちあげて柱を背にしてあげたら「お前、ちょっと前にへまわってくれんか」と言うのです。
妙なことを言うなと思いながら前へまわりましたら、先生、なんと主人が手を合わせて

『おれはなぁー、いっぺん座り直してお前を拝んでから死にたかった。
よく俺たちの面倒をみてくれたなぁー。ありがとう。この恩だけは絶対に忘れんよ』
と私を拝んでくれました。

それからしばらくして主人が亡くなり、そのあとを追うようにして老人二人も
バタバタと逝(い)ってしまいましたが、二人とも私を拝んでくれ、安らかな死でした。
逃げなくてよかったと、しみじみ思わせていただきました」

『いのちの呼応による喜びの発見』タニサケ発行

ある知り合いの話だが、70歳過ぎのご主人が倒れて半身不随となった。
すると、その奥さんは急に、夫の面倒をみるのは御免だと言いだし、
さっさと離婚し、夫を施設に預けたという。

これから余生を楽しもうと思っていたのに、夫の世話などしていたら、
一生楽しまずに終わってしまう、ということだろう。

昨今は、ここまで極端でなくても、このたぐいの話は枚挙(まいきょ)にいとまがない。
なにも、すべて家で最後まで面倒を見なければいけない、と言っているわけではない。
心の奥底に、「人を思いやる」、「人のため」という、気持があるかどうかだ。

現代は、自分が一番大切、と思う人が増えている。
ミーイズムという、自己中心的で、他の人ことはどうでもいいという考え方だ。

ボランティアで、世のため人のため、と駆けずり回ることは尊いことだ。
しかし、もし身近に世話をしなければいけない人がいるのなら、それをすることも立派な善行だ。

身近な人のお世話は、目立たず、ボランティアのように多くの人から、感謝もされない。
しかし、善行には、上下もなければ、大小もない。

次々やってくる艱難(かんなん)を、逃げずに、はっしと受け止め、淡々とこなしていく。
人様から、拝まれるような人生をおくることができたら、幸せだ。



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