2011.1.14 |
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大きな失敗は伝説となる |
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精神科医の斉藤茂太氏の心に響く言葉より…
そんなに大きな失敗や深刻な挫折ではなくても、人はみんな日々、
失敗を繰り返し、そこから少しずつ学んでいる。
「冗談のつもりでいったのに、彼は真面目に受け止めて気分を害してしまった。
あの手の冗談は、通じない人もいるのだなあ。今後は冗談も相手を見てからにしよう」
このように失敗を自分なりの「教訓」ととらえられる人は、自分を大きく成長させていける人だ。
心にスタミナを蓄え、じわじわと気持ちを鍛えていく人だ。
要は、
「小さな失敗は、教訓になる。簡単にやり過ごさないで、そこから学べ」
「大きな失敗こそ、笑い飛ばせ。それを乗り越えれば、伝説になる」
という心構えを持ってみよう。
この失敗を、「不幸」といい換えてもいい。
どう考えても自分に非はないのに、窮地に立たされたり、
死にたくなるほどのつらい思いを味わったりすることも、長い人生には何回かあるだろう。
そんなとき、
「ああ、わたしはなんてツイていないんだろう。せっかくここまでがんばってきたのに、神はいないのか…」
「あの人のせいで、こんなひどい目に遭うとは…今の社会は公平じゃない」
などと運のなさを嘆いたり、他の人や社会のせいにして背を向けたりしていたのでは、
せっかくの「不幸」が生かされない。
かつての不遇や不幸を乗り越えて一時代を築いた…
というのが有名人の伝記や自叙伝の「読ませどころ」である。
不幸を乗り越え、それまでの自分を乗り越えた人は、その人なりの「伝説」を築き上げることができる。
『人から「必要とされる人望まれる人」の共通点』新講社
これで自分の人生は終わりだ、と思うくらいの大きな失敗をすることもある。
しかし、それを乗り越えてみると、意外にそれが自分の話のネタになっていることに気づく。
失敗を乗り越えたとき、それが大きければ大きいほど、それを面白おかしく話す事ができる。
人の自伝や、映画やドラマのクライマックスは、絶体絶命のピンチを切り抜けたときだからだ。
伝説は、世に言う有名な伝説ばかりではない。
身近な人たち、父親やおじいちゃんの若い頃の武勇伝、
おばあちゃんの貧乏だった子どもの頃の物語、そんな家族だけが知っている伝説もある。
劇的な人生でなくても、普通に生きること、普通に生活することは、
幾多の苦労を乗り越た証(あかし)であり、一遍のドラマだ。
誰にでも、壁に突き当たったり、不幸のどん底に落ちるような時期はある。
しかし、どんな難問であっても、それを乗り越えればそれが話のネタになる。
絶体絶命のピンチに陥ったとき、そこを乗り越えて、
誰かにそのネタを得意そうに話している未来の自分を、ありありと思い浮かべてみるといい。
人生は、自分が製作し、脚本を書いた世界でたった一つのドラマを、主役として生きること。
困難を乗り切り、大笑いして、自分の伝説を語ってみたい。 |
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