2010.12.22 |
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強く、正しく、美しく |
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西田文郎氏の心に響く言葉より…
私はいつも「強く、正しく、美しく」と言っています。
昔は、「清く、正しく、美しく」でした。
なぜなら、日本人はみんな強かった。
貧しくても、強さを持っていたから、「強く」をわざわざ指導する必要がありませんでした。
しかし、日本人は豊かになって、「ずるく」「弱く」なっています。
だからあえて、「強く」と言っています。
「強く」というのは、経験を積んで鍛えなければ強くなれません。
一生懸命本を読んで、行動しないと、強くなれません。
「正しく」というのは、利他の心がなければ正しくなれません。
ただ、心だけでもダメです。
力がないと、正しさを示せません。
力なき正義は、非力でしかないのです。
その力をつけるためにも、本を読まなければなりません。
そして、「美しく」というのは、素直で、感謝の心を持っていることです。
そういう人は、美しく見えます。
感謝の心を持っていない人は、見苦しいものです。
ところが、今は、お金儲けがうまいだけで、「強く、ずるく、見苦しい」という成功者が、少なからずいます。
人は、己を鍛えて強くなり、利他の心を持って人様に喜んでいただき、
感謝の心を持って素直になれば、誰でも、とてつもない信念の持ち主になることができます。
『エジソン脳をつくる「脳活」読書術』エンターブレイン
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」
とは、レイモンド・チャンドラーの小説の中の有名な台詞だ。
強さとは、暴力的、身体的強さを言うのではない。
精神的な強さは、色々な問題から、「逃げない」という心的態度からくる。
立ち向かうのもいいが、柳のように受け流すこともある。
「喜神(きしん)を含む」という安岡正篤師の言葉があるが、
「どんな境地にあっても心の奥底に、喜びの心、感謝の気持が必要だ」、ということだ。
だから、強さにも、優しさがあるといい。
幕末から明治の大激動の時代には、背筋がピンと伸び、凛とした日本人が多くいた。
日本のため、人の喜びのためだけを考えて行動した「強く、正しく、美しい」若者達だ。
己を鍛え、強く、正しく、美しい日本人でありたい。 |
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