2010.12.19 |
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冷暖自知(れいだんじち) |
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永井政之氏の心に響く言葉より…
浅草に慶応ニ年(1866年)創業の寿司の名店があります。
そこの五代目主人は、先代から一度も寿司の握り方を教わらなかったそうです。
その先代もまた、握り方も仕込みの方法もすべて親方の仕事を見ながら、
自分でやってみて体で覚えたそうです。
それが店の代々の流儀なのでしょう。
将棋の棋士の世界にも同じようなことが言え、
何も教えてくれない師匠のお陰で強くなれたという棋士もいます。
師匠が「一局教えてやろう」というときは、
「見込みがないから破門する」という意味であったりするそうです。
「冷暖自知(れいだんじち)」
冷暖自ら知る、とは水が冷たいか暖かいか、そんなことは人からああだこうだと説明を聞くより、
自分でさわってみればすぐにわかることだ、という意味。
仏法や禅の真髄(しんずい)というのは、師に教わったり頭で学ぶものではなく、
みずからの体験を通して会得(えとく)し、悟る以外にないということです。
『ふっと心がかるくなる 禅の言葉』永岡書店
日本の武道には、「見取り稽古(みとりけいこ)」という、自分の師や先輩の試合や練習を見る稽古がある。
ただ見るだけでなく、相手になりきり、それをあとで実際に再現し、真似をするのだ。
自転車でも、水泳でも、体で覚えたものは時がたっても忘れない。
昨今は、何をするにしても、「最短の時間」で、「無駄なく」、という効率を求められる。
しかし、効率よく覚えたものは、効率よく忘れる。
失敗を重ね、不器用で無駄が多い人は一見すると回り道のようだが、
本当は最短の道を歩んでいるのかもしれない。
なぜなら、自得した人はそれが借り物ではなく、自分の身についているからだ。
深い気づきは、体得からしか得られない。
「冷暖自知(れいだんじち)」
水が冷たいか暖かいかは、さわればすぐわかる。
我々は、とかく頭で考えすぎる。
傍観者(ぼうかんしゃ)にならず、自ら渦中(かちゅう)に飛び込み、真髄(しんずい)をつかみたい。 |
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