2010.12.18 |
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毎年届くクリスマスケーキ |
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「涙が出るほどいい話」の中から、心に響く言葉を…
私が父を亡くしたのは、小学校へ入学したばかりの春でした。
オートバイで土手を走っていて、歩いている人をよけようとしてハンドルをあやまり、
オートバイごと転げ落ちてしまいました。
お酒を飲んでいたのです。
そして不運にも相手の人をも巻き込んでしまったのです。
二人とも瀕死(ひんし)の重症を負い、打ち所が悪かった父は三日後に亡くなり、
相手の方がなんとか助かったのだけがせめてもの救いでした。
一家の大黒柱を亡くした我が家は、幸せの絶頂から奈落(ならく)の底へと落ちてしまいました。
耳の不自由な祖母は、何かの役に立とうと腰を二つに折りながら畑仕事に精を出し、
母は一家を支えるために早朝から夜遅くまで機(はた)を織(お)る。
そんなころ、毎年クリスマスになると、大きなケーキとプレゼントが届くのを楽しみに待っていたものでした。
その贈り主が、父が交通事故に遭(あ)わせてしまった人からだと知ったのは、何年もしてからでした。
自分も瀕死の重傷を負いながら、こんな形で見守ってくださっていたとは…。
(京都府 菅原敏子)
『涙が出るほどいい話』(第1集)河出文庫
交通事故で、しかも酒酔い運転で、相手から重症を負わされたとしたら、その人を許す人など皆無に近い。
特に昨今は皆、被害者意識が強く、その傾向は顕著(けんちょ)だ。
「不幸な人は、人を許せない人に多い」とは、斎藤一人さんの言葉だ。
相手を非難し、呪(のろ)い、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせれば、
自分の無くしたものが戻ってくるなら、やったらいい。
しかし、相手を、「一生許さない!」と、そのことだけに執念を燃やし、
膨大(ぼうだい)な時間を費やすのは、あまりに、つまらない人生だ。
自分が何の落ち度もない被害者なのに、それでもなお、相手を許す、
というのは普通の人間にとって至難のわざかもしれない。
しかし、そんな非難の呪縛(じゅばく)から逃れ、忘れることで、新たな一歩をあゆむことができる。
荘子に興味深い寓話(ぐうわ)がある。
「川に浮かんでいる空船(からぶね)が、自分の船にぶつかってきても誰も文句は言わないが、
もしその船に人が乗っていたら怒り出す」
事故のとき、それが止まっている無人の車だったら、怒り出す人はいないだろう。
明るい方向に焦点(しょうてん)をあて、小さな「許し」を積み重ねていきたい。 |
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