2010.12.16 |
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日本人の特徴 |
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渡部昇一氏の心に響く言葉より…
私の文明観、道徳観を述べておきます。
「ある地で素晴らしい道徳観が発生したのは、その逆の状況があったからである」
たとえば、キリストは平和や愛を説き、「汝の敵を愛せよ」と説いた。
キリストが説いた地は今のパレスチナあたりで、旧約聖書の時代から、
そしてこんにちに至るまで、いわば民族虐殺の頻発地でした。
だからこそ、「右の頬を叩かれたら左の頬を差し出せ」という徹底した平和主義が生まれた訳です。
釈迦は、カースト制度という世界最大級の差別体制から生まれました。
カーストから離脱した教えを説いたのです。
シナでも、黄河の上流を中心とする多種多様な人々による商業活動によって、
ずるい人間、人をたぶらかすような人間が出てきたために、仁義を説く教えが必要になり、
孔子や孟子、あるいはそれを理想化した堯(ぎょう)や舜(しゅん)が現れる。
日本の場合、そうした強烈な悪の状況にはなかったため、
日本から何か強烈な一つの教えが生まれるということはなく、
仏教に傾倒した武将もいれば、江戸時代には儒教が盛んになったりもしました。
他の国から生まれた教えの「いいとこ取り」をして、修行する。
こうした中から、「一つの宗教にこだわらない」という日本独特の道が生まれるのです。
つまり、宗教や宗派という枠組みを超えて、自分の精神を磨くことが主眼となる。
これが日本人の特徴でもあり、日本の武士道と西洋の騎士道との違いとも言えます。
一つの宗教や一人の聖人にいかに近づくかではなく、
自分自身の中にある心をいかに磨くかを重要視するようになりました。
そう考えると、あらゆる宗教が、心を磨くための「磨き砂」のようになる。
日本人は「いい教えを用いて自分の心を磨けばいいんだ」と考えてきたのです。
武士道においても、どの宗教、どの宗派に熱心であるのかは問題ではなく、
自分の心を磨き、天地神明に誓って恥じるところなしという精神になればいい訳です。
「常に先祖代々からみられているような心持ちで自分を律する」とでも言いましょうか。
『日本人の品格』KKベストセラーズ
日本人には宗教観が希薄だとか、宗教心が少ないとか、言われることがある。
それは、大方の日本人が、ひとつの宗教だけにこだわらず、
12月にクリスマスを祝い、1月には神社に初詣、8月のお盆にはお墓参り、
と一見するとゴチャゴチャな宗教的行動をしていることも一因にある。
だがこれは逆に言うと、ひとつの宗教にはこだわらず、かなり宗教的行事が好きな国民とも言える。
日本人の根本的なスピリットや精神行動の多くは、神道によって形作られていると言われる。
神社の奥には鏡が祭られている。
この鏡の意味には色々あるが、主には、「己を見よ」、「己を知れ」ということだ。
つまり、神道の根本は、「自分の心を磨くこと」であり、「自分を律すること」である。
いいことも、悪いことも、自分の責任であり、天地神明に誓って恥じることのない行為が大切、と考える。
それは、太陽信仰とも関係するが、「お天道(てんと)さまが見ている」ということだ。
あらゆる教えを自分の「磨き砂」とし、自らの魂を高めていきたい。 |
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