2010.12.8 |
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あとから来る者のために |
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致知出版社長の藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
渡部昇一氏に伺った話である。
氏は若い頃、ギリシャのスニオン半島を二週間ほど旅し、ポセイドン神殿はじめ多くの遺跡を見た。
帰国後、石巻(いしのまき)に行った印象が忘れられないという。
石巻には港を見下ろす丘に大きな神社がある。
その祭りを町を挙げて祝っていた。
海を見晴らす丘に海神を祀(まつ)るのはギリシャも日本も同じだが、
ギリシャの神ははげ山の中の遺跡と化している。
しかし、日本の神は豊かな鎮守(ちんじゅ)の森に包まれて社に鎮座し、住民がこぞって祝っている。
「古代ギリシャ文化はもはや死んでしまったが、古代日本文化はいまもまさに生きているのです」
この事実は何を物語るのか。
ギリシャ神話は有名だが、神々の系譜(けいふ)は神話の中だけで完結、断絶し、
いまに繋(つな)がっていない。
これに対して日本は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の系譜に繋がる
万世一系の天皇という具体的な存在を軸に、我われの祖先は目に見えないもの、
人知を超えたものを畏敬し、尊崇(そんすう)する心を、
二千年以上にわたって持ち続けてきた、ということである。
そしてこの民族の魂は今日もなお生き続けている、ということである。
目に見えないものへの畏敬、尊崇の念は、自らを律し、慎む心を育んでいく。
同時に忘れてはならないのが、我々の祖先が絶えず後から来る者のことを考え、
遠き慮(おもんぱか)りの心を持ち続けたことだろう。
詩人の坂村真民さんはそういう先人の祈りを象徴するような詩を残している。
『あとから来る者のために
田畑を耕し 種を用意しておくのだ
山を 川を 海をきれいにしておくのだ
ああ あとから来る者のために
苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる なにかをしてゆくのだ』
『月刊 致知』2011年1月号
伊勢神宮を表す言葉のひとつに「常若(とこわか)」がある。
常若とは、常に若々しいということだが、
これは式年遷宮(しきねんせんぐう)という神事によっても継承されている。
式年遷宮とは言うまでもなく、20年に一度、神宮で使われる装束や、神具のみならず、
全てのお社を古式にのっとり、新しくつくり替えられる儀式だ。
この儀式が1300年にわたり、ずっと続けられている。
だからこそ、1300年前の神事が当時と同じ装束で、同じ神具を使い、同じ神殿で、
同じ祝詞(のりと)で、同じ舞(まい)や演奏を続けることができる。
このような文化や様式が1000年以上にわたって
当時と全く同じように継承されているのは、世界でも日本だけだ。
他の国々では、遺跡や廃墟と化している神殿も、日本では伊勢神宮だけでなく、
鎮守の森とともに、全国津々浦々に残っている。
しかも、なおそこでは今もなお祭りが行われている。
西行法師が、伊勢神宮に初めて参拝したときに詠んだ有名な歌がある。
『なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる』
神宮で西行法師が感じた、「かたじけなさ」や「ありがたさ」は、今でも我々の心をふるわせる。
あとから来る者のために、日本人は目に見えない大切なものを連綿として伝えてきた。
日本の魂やよき想いを伝える、小さな伝道者となれたら幸せだ。 |
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