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2010.12.6

いそぐなよ、また急ぐなよ

火坂雅志(ひさかまさし)氏の心に響く言葉より…

慶長(けいちょう)五年九月十五日の早朝に始まった合戦は、
当初互角の展開をみせたが、午後になって徳川家康のひきいる東軍が、石田三成らの西軍を圧倒した。
全軍が総崩れとなるなか、西軍の島津義弘は、敵のまっただなかに孤立した。
開戦時に千人いた島津勢は、わずか三百人に減っている。

このまま、(おのれも敗走すべきかどうか…)
義弘は迷ったにちがいない。
だが、いったん戦意を失い、敗走をはじめた軍勢ほど弱いものはない。
勝利の勢いに乗る敵勢の追撃を受け、全滅する可能性が高かった。
(むしろ、ここは死中に活を求めるべきではないか)
硝煙と血の臭いに満ちた戦場で、義弘は意を決した。

そのとき、彼がつぶやいたとされるのが、
『いそぐなよ また急ぐなよ 世の中の 定まる風の 吹かぬかぎりは』
の言葉である。

西軍は大敗したが、いまだ島津家の運命は定まったわけではない。
むやみに死に急がず、生きてさえいれば復活の目はある。
(焦るな、焦ってはなるまいぞ…)
ともすれば絶望的な心境におちいりそうになる自分自身を、義弘は鼓舞した。

そして、義弘が選んだのが、敵中を突破する策である。
敵味方が入り混じって混乱する戦場の中央へあえて切り込み、一丸となって走り抜ける。

あれこれと小賢しい策を弄(ろう)するより、もっともシンプルな作戦をとったほうが、
敵の意表をつき、生き残りの確率も高いと義弘は判断したのである。

「これより、徳川の本陣めがけて突入する。
家康の首を獲るのじゃ。
みな、わしに命をあずけてくれッ!」

本来の目的である“退却”はあえて部下に伏せた。
そして、島津勢は家康の本陣の前を素通りし、そのまま走り続けた。

激烈な戦いのすえ、島津義弘は関が原の戦場を脱出した。
島津軍の犠牲は多く、義弘とともに生還した兵はわずか五十人にすぎなかったという。

この敵中突破は、のちに、「島津の退(の)き口(ぐち)」と呼ばれた。

『武士の一言』朝日新聞出版

たいていの人は、経営や人生において、絶体絶命の危機や、
度重なる試練が続くと、時として投げ出したくなることがある。

もう勝負はあった、これ以上は無理、と思い定めてしまうからだ。
本当は、その「無理」の先に希望があるのだが、渦中のときはそこまで考えが及ばない。

そんなとき、この島津公のこの言葉を思い出してみる。

『いそぐなよ また急ぐなよ 世の中の 定まる風の 吹かぬかぎりは』

どんなに退路を断たれようと、どこかに生きる道はある。
負け、が決まったわけではない。
今は評価されていなくても、時が過ぎて、認められる人など、星の数ほどいる。

格好悪かろうが、何を言われようが、とにかく生き延びることだ。
生きていさえすれば、必ずやチャンスはめぐってくる。

早まってはいけない。
「いそぐなよ、また急ぐなよ」と呪文(じゅもん)のごとく唱え、投げ出さずに生き抜いてみたい。



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