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2010.12.4

白鵬の木鶏(もっけい)

第六十九代横綱の白鵬翔関(はくほうしょう)の心に響く言葉より…

相撲会のある長老から、
「長く相撲をみてきたけど、君は双葉山とそっくりだ。双葉山のことをもっと勉強してみてはどうだ」
といわれた。

私はちょっとしたことでも縁を感じるタチで、こうしたアドバイス一言で、助言に従った。

DVDを見てまず注目したのは、双葉山関の立合いである。
フワッと立つのが特徴だった。
しかしそこにしっかり圧力がある。
最後は自分の型があって、寄り切るというパターンが多い。

いちばん印象に残ったのは、「勝ちに行くぞ」という気負いがほとんど感じられないことである。
力んでないというか、適度に力が抜けている。
立合いではどっしり構えて、相手をしっかりと受け止めている。
そして、「後(ご)の先(せん)」という絶妙の立合いをした。

双葉山関から教えてもらったことで印象深いのは、
「いまだ木鶏(もっけい)たりえず」という言葉である。

安藝の海関(あきのうみ)に敗れ連勝が六九で止まってしまったとき、
かつて木鶏にまつわる話を教えてもらった
思想家の安岡正篤氏に宛てた電報にそう書いたといわれている。

木鶏の話とは、『荘子』や『列氏』といった中国の古典に出てくる故事で、
何事にも動じない木の鶏にまつわる話だ。

こんな内容だ。

昔、闘鶏飼いの名人が、ある王から一羽の闘鶏の調教を依頼された。
十日ほどたっても、「まだダメです。敵の声や姿に興奮します」と色よい返事を聞くことができず、
また十日ほどたって尋ねても、
「まだまだダメです、敵を見ると“何をコイツが”と見下すところがあります」
となかなか使える状態にならない。

それから十日後、ようやく闘鶏として使えるという答えが返ってきた。
そのときの名人の言葉。
「いかなる敵にも無心です。
そばで他の鶏が鳴いても平然としていて、あたかも木でつくった鶏のように動じません。
徳が充実しました。まさに天下無敵です」

この無心の状態は理想である。
双葉山関は「泰然自若」という言葉を使っているが、木鶏の状態をイメージしていたのではないか。

双葉山関は「客の顔全部が見えた」という言葉を残している。
それだけ何ものにも動じない心を持っていたということである。

『相撲よ!』角川書店

横綱の白鵬関の連勝は六三で止まり、双葉山関の大記録六九には届かなかった。

「後(ご)の先(せん)」とは、相手の立合いを受け、後から立って、先によい体勢をつくることだ。
変化もしないし、奇襲戦法もとらない、まさに、白鵬関の目指す横綱相撲だ。

横綱の相撲は勝てばいい、というものではない。
勝っても、ガッツポーズをとったり、うれしそうにニヤっと笑うのは、いけない。
品位がないからだ。

相撲は間違いなく格闘技ではあるが、同時に神道の神事でもある。
土俵に眠る霊を鎮(しず)めるため、塩をまき、拍手を打ち、四股(しこ)を踏む。
いわゆる地鎮祭だ。

横綱だけが締める「綱」は、神棚に飾る、しめ縄。
すなわち、力士の最高峰である横綱を、神とみなしているのだ。
だからこそ、横綱には品位や品格が必要となる。

どんなことが起きてもびくともしない胆力と、肚(はら)があるのが、木鶏。
気負いもなく、力みもない、泰然自若の人には限りない魅力がある。



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