2010.11.24 |
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友人は第二の自分である |
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北川八郎氏の心に響く言葉より…
釈尊はいう。
「どのような友をつくろうと、やがて人はその友のような人になる。
悪い友と交わるな。
卑しい人と交わるな。
善い人と交われ。
尊い人と交われ。」
人は失意と不遇の中にある時、どんな人と交わるかで、その人の人格や運が見えてくる。
友はその人の心のレベルに呼応(こおう)して変わってくる。
人は同じ目つきの仲間と同じ服装の友と、輪をつくる。
まず、心を澄ませ、尊敬する人をつくるといい。
三人、尊敬する人を持つと、いつしか、自分も尊敬される側に立っているだろう。
だから、人に尊敬を求めなくていい。
ひたすら、快におぼれず、怒りなく、人のよろこびを祝ってあげられる人となれ。
人にやさしくあれ。
老人にやさしくあれ。
弱い人を助けよ。
怒りのまま人生を送るなかれ…。
アリストテレスはいう。
「友人は第二の自分である」。
今つき合っている友を、少し離れて眺めてみるがいい。
その姿が、あなたなのです。
善き人からは、善きエネルギーがもらえ、悪しき友からは悪しきエネルギーをもらい人を害し、
自分の魂を傷つけ、やがて自分のしたことに自分で苦しむようになってゆく。
心して、善き友を選べ、善き友がいない時は独りで、本を読み、善き友と善き年上の人と語り、
善意の輪の中に入ってゆくがいい、きっとオーラが澄んでくる。
『ブッダのことば「百言百話」』致知出版
順調にいっている時より、逆境や不遇の時にこそ、その人の本当の姿がわかる。
つまり、せっぱつまり、追い詰められたとき、どんな行動を取るか、だ。
「貧(ひん)すれば鈍(どん)する」という言葉があるが、
同様に、窮地に陥(おちい)った時は、心まで卑しくなってしまうことがある。
どん底にあるときには、魔が入りやすい。
表面的で薄っぺらな甘いささやきの、うわべだけ優しい悪しき友や、
卑しい仲間の言葉に、つい心を動かされてしまう。
今付き合っている友には、必ず自分と似たところがある。
同じ価値観や、同じ好みがあるからこそ、友人でいられるからだ。
善き人を友とし、善き年上の人に好かれる人でありたい。 |
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