2010.11.20 |
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鮨屋の人間力 |
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東京・四谷「すし匠」の中澤桂二氏の心に響く言葉より…
鮨屋というのは、実に不思議な商売です。
カウンター越しに職人とお客さんが直接対面する、手を使って握って出す、
知らない者同士が隣りあわせで食事をする…
一言でいえば、「さらし」の商売ゆえの特殊さとでも言いますか、
他の飲食業とは決定的に違う性格を持った商売なのです。
自分自身の身をさらけ出して人に接する「さらし」。
だからこそ難しく、そして、奥深い。
私は、鮨屋は人間っぽい商売だと思うのです。
職人の態度や出し方で味は変わります。
お客様に対する気持、そこに愛があるかどうかでまるで違うものになってしまうと思うのです。
また、ときには初めてのお客さんにとって多少居心地の悪い空間であるかもしれません。
たとえば、常連さんに囲まれた初めてのお客さんが、他の人に出されるネタを見て、
なんだよ、俺だけ違うじゃないか、と思うときもあるかもしれません。
他の人を贔屓(ひいき)していると、感じることもあるかもしれません。
しかし、私は、それが鮨屋の一面でもあるとあえて言いたいのです。
10年通っているお客さんと、初めてのお客さんでは扱いが違っても仕方がないのではないか、と。
いや、だからと言って、もちろん、初めての方に冷たく当たるかというのではありません。
ただ、そういう場数、人間関係、緊張感といったものが残っている唯一の飲食業が
鮨屋だと私は思っているのです。
職人とお客さんで合う合わないもあるでしょう。
それは人間同士だから仕方ないんです。
だから、その人間味を大事にしたい。
ところが、それに対して、今の時代、あそこは贔屓している、
常連ばかりにいい顔をしている、と文句を言うようになった。
メディアに不満をぶつけたり、あるいは、簡単に店に点数をつけたりする。
評価する人も、お客さんも、職人も勘違いしているように思えるのです。
『鮨屋の人間力』文春新書
「すし匠」のネットの口コミを見ると、よい評価が大半だが、中には
「料理に手間をかけて、こりすぎている」とか、「値段が高すぎる」とか、
「ご主人の常連重視の姿勢が笑わせる」とか、ひどいことを書いてあるものもあった。
今の時代は、素人が点数をつける時代だ。
何か批判したり、辛口に書くことで、
あたかも自分の実力が上であるかのような錯覚をしている書き込みも多い。
それだけ、自分はすごい人なのだ、と言いたいのだろう。
見巧者(みごうしゃ)と言う言葉がある。
芝居などで、目が肥えている人、見方の上手な人のことだ。
同様に、食の見巧者ともいうべき、食べることに巧(たく)みな人もいる。
食の見巧者は、食の知識や経験は数多くあるが決してそれをひけらかさない。
職人というプロを尊重し大事にするが、長く緊張感ある関係を持つことができる。
メニューなど見なくても、店が勝手に見繕(みつくろ)って出してくるほど、人間関係ができている。
つまり、長年店に通いつめている人のことだ。
相撲のタニマチであり、昔でいう旦那(だんな)であり、パトロンであるとも言える。
今の時代は、お金を払ったら誰でも平等な対価を受けるのが当然、と思っている人が大半だ。
しかし、そうではない世界もある。
見巧者でなければ分からない世界だ。
人の何倍も努力し、その世界に命をかけているプロを、自分の狭い知識だけで判断する人は寂しい。
一回行ったくらいでは、その店のよさはわからないからだ。
もっと、おおらかで、粋で、美点を見つめるお客でありたい。 |
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