2010.10.24 |
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日本人ほど創造的な民族はいない |
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茂木健一郎氏の心に響く言葉より…
「日本人には創造性が乏しい」「日本人には個性がない」
「日本人は模倣はうまいが、独創に欠ける」…これまでに多くの日本人が言われてきた言葉だ。
私たち日本人自身もそれを疑わず、自らそのように言うことも少なくない。
はたしてそれは、本当に正しいのだろうか。
日本人と創造性ということについて考えたきっかけとして、
自動車製造業であるトヨタの工場を見学したということがあった。
そこでは、「ひらめきはみんなのものである」ということが、当たり前に実践されていた。
トヨタでは、全員が「提案書」を書くのだという。
仕事をしていて気づいたことをもとに、
現状を「改善(カイゼン)」するためのアイデアをA4一枚の紙にまとめるのだ。
中学を卒業して働く「金の卵」と呼ばれる人も、
大学卒のエンジニアも、正社員も期間従業員も、だれもが平等に書く。
ひらめきに上下の別はない。
どれほど鮮烈なひらめきでも、そこにいたるまでには、数々の小さなひらめきが存在している。
ヨーロッパやアメリカは、一人の天才が世界を一新する。
一人のCEO(最高経営責任者)が組織のすべてを決めて統率していく。
欧米ではそんな考え方が主流である。
日本的な創造原理は、「みんなでやる」ことに特徴がある。
よく「日本人は集団でばかり行動する」といって批判されるが、
それは裏を返せば、みんなが平等に知恵を出し、チームワークでものごとを進めるということだ。
だれか一人が手柄の総取りをしたりしない。
わが国最古の歌集、『万葉集』には、天皇や貴族の歌と、
下級官人や防人(さきもり)など名もなき人の歌とが、対等に並べられている。
しかもその編纂(へんさん)を行ったのは国家だ。
一方、欧米のありかたは異なる。
歌や詩とは、才能を持ったかぎられた人のインスピレーションによって生まれるもの
というイメージがあるのだ。
いわば、選ばれた天才をふつうの人々が仰ぎ見る文化である。
ふつうの人が知恵を出し合うことで創造的なものが生まれる。
いろいろな人が集まってアイデアを出し合い、
「リナックス」や「ウィキペディア」のように自由に流通させる。
それぞれがアイデアを生み出していく。
そのほうが、たった一人の天才が思考を重ねるモデルより、はるかに進歩は早い。
『ひらめきの導火線』PHP新書
創造性は「すでにあるもの」の中からしか生まれない。
まったくゼロの状態から、世界で始めての何かが生まれる、などということはありえない。
日本人は、長きにわたり、「創造性がない」「真似ばかりする民族だ」と言われ続けてきた。
その結果、昨今の学校教育では、個性重視、創造性を高めるという方針に変わってきた。
しかし本当は、日本人ほど創造性にあふれ、個性的で、独創的な民族はいない。
欧米では、たった一人の天才が、何かを作ったと名乗りを上げるが、そういう大発明にしても、
一からすべてを創造したわけではないのにも関わらず、自分が作ったと言うのだ。
多分、日本人だったら、謙虚に「皆で考え、作りました」というだろう。
ゲームも、アニメも、ロボットも、カイゼンも、日本発。
そんな独創的なモノを創造したのに、
作った人の名前が出てこないのがいかにも日本的で素晴らしい。
世界の趨勢(すうせい)は、「ウィキペディア」のように、
「みんなで創造する」という方向になってきている。
だから、日本人は個性や、創造性に対してもっと自信をもっていい。
みんなで考えるという日本人特有のパワーを生かし、
一人一人が臆(おく)することなく、
更なる創造性を発揮していきたい。 |
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