2010.10.11 |
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物にも愛情を |
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大野百合子氏の心に響く言葉より…
全ての物質は知性(インテリジェンス)をもっています。
そして本当に大切にするなら、心を通いあわせることは可能です。
私がこのことを体感したのは、あるチャネラーさんと、
鎌倉瑞泉寺へのぼるせまーい道を運転していたときのこと。
彼女は、「プリウスが怖がっているんだけどどうしたのかしら」と言ったのです。
実は同じ道を通ったとき、道路の真ん中が盛り上がっていて、
しこたま車体のおなかを打ったことがありました。
ちょうどおなかを打ったところを通ったときにわがプリちゃんが怖がったというわけです。
ゲリー(ゲリー・ボーネル)にはしょっちゅうコンピューターを壊す友人がいます。
彼はフラストレーションがたまると、仕事で使っているパソコンにいつも八つ当たりをしていました。
「このくそったれコンピューターめ」
「地獄へ落ちろ(ゴートゥーヘル)!」
などといった具合にです。
なんで壊れるのだろうと言う友人に、ゲリーは
「ありがとう、愛してるよって君のパソコンにいつも言ってごらん。心をこめて」
というアドバイスをしました。
「あなた自身とモノの関係性は、あなたと自分自身の関係性と同じです」
あなたが歯ブラシをどう取り扱うかは、
あなたが自分の肉体をどう取り扱っているのかを象徴しています。
車とおしゃべりできるなら、身体とならもっとおしゃべりできるでしょう。
胃が疲れているなら、胃とおしゃべりしてみてください。
肩がこるなら、肩に。
モノとどのように関わっていくのか?
この答えは実にシンプル。
愛せばよいのです。
『百魂百色(ひゃくたまひゃくいろ)』アメーバーブックス新社
優秀なスポーツ選手で、道具をぞんざいに扱うひとはいない。
それは、優れた職人でもコックでも、同じだ。
バットでも、グローブでも、フライパンでも、大事なものだったら、放り投げたりはしない。
プロのサッカー選手の中にも、ピッチに入るときに礼をして入る人がいる。
武道でも、道場に入るときは、道場に一礼をし、高校野球の選手たちも球場に礼をする。
日本では古来より、物にも場(ば)にもある種の霊性や知性を感じていた。
物に対する意識は、自分に対する意識と同じだ。
自分の車や、会社の物品、あるいは自分の出身校や、在籍している会社などを、
ぞんざいに扱う人は、自分もぞんざいに扱っていることになる。
人と同じように、物にも愛情をそそぎたい。 |
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