2010.10.10 |
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代案を出す人 |
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二見道夫氏の心に響く言葉より…
ある会社の社員手帳には、こんな行動憲章がプリントしてある。
【意見と批判】
「代案を持たずして、他人の欠点を指摘するだけを“批判”と言う。
代案のある問題点の指摘を“意見”と言う。
お互いが意見を持とう、育てよう」
案を出して採用された場合でも、その案が失敗することだってある。
すると何の意見も出さない人間ほど、「それ見たことか」という態度をとるものだ。
だからそういう場合の覚悟と、そんな外野スズメの雑音にオタオタしない度胸も欠かせないのである。
また具体案を出す人にも、二通りあるようだ。
一つは何かの研修で覚えた内容を、そのまま噛み砕かずに出してくる人で、オリジナル性がない。
一般に役に立たない。
二つは、本当の意味での具体的な提案だ。
こういう人はふだんから勉強している。
月給取りという生活安全圏にあぐらをかいてはいない。
自分を向上させるための書物やセミナーに自費を投じて努力する。
ふだんから、「これ以外に、もっと能率的な方法があるはずだ」
というように問題意識を持つ習慣も身につけているものだ。
問題意識なくして、問題解決(提案)能力が啓発されることはない。
いずれにしろ、たんなる批判精神より意見のある行動を起こしたいものだ。
『一日一話寝る前に「読むクスリ」』知的生きかた文庫
提案は、二通りあるという。
一つは、セミナーや本で読んだような表面的でおざなりな提案で、
具体性はなく、実現性は少ない。
二つ目は、具体的な提案で、製造から販売まで含めた豊富な知識と経験を持ち、
各ポジションが円滑に動くような、組み合わせを考えることができる人だけが出せる提案だ。
会議などでは、代案を出さないで、欠点のみをあげつらい、
できない理由、無理な理由を並べ立てる人がいる。
これを「批判」という。
「提案のこの部分をちょっと変えたらどうだろうか」、「これを付け加えればうまくいくと思う」等々、
代案を提示して、議論するなら、それは「意見」だ。
実際に、具体的な提案を出せる人は、どんな局面でもアイデアの出し惜しみをしない。
通りすがりの店であろうと、たまたま入ったレストランであろうと、
こうしたらもっとよくなるのではないか、と常に考えている。
そのアイデアをお店に直接言ったらよけいなおせっかいだが、
自分の心の中だけで考え、アイデアを出す練習なら何度やってもいい。
それが、いつかは必ず自分の仕事の役に立つ。
具体的な提案を出し続ける人は、ますます問題解決能力が高まるが、
ただ批判だけする人は評論家や皮肉屋の能力が高まるだけだ。
何度批判され否定されても、具体的な提案や代案を出し続ける実践の人でありたい。 |
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