2010.10.4 |
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楽しく劇的なことをしよう |
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狂言の野村万之丞氏の心に響く言葉より…
中学、高校生時代、僕はワルガキで、勉強ができなかった。
親には、「代々木ゼミナールに行って来ま〜す」とウソをついてお金をもらっては、
その金で洋服を買ったり、酒を飲んだりして、もらったお金は全て使い果たし、
当然ながら代々木ゼミナールにも行っていなかった。
学校帰りには真面目に暴走族もやっていたし、犯罪に近い非行にも手を染めた。
若いうちから上潮(あげしお)ばかりの日々だと、苦労に耐えられない。
人間が青春で一番輝いている時期を棒に振るということは、
将来において利(き)きバネになるんだね。
これはまさに、僕の人生のなかの煌(きらめ)くオリなのかもしれない。
ワインだってボトルの底に溜まったオリも含めてワインなのだ。
オリだけを取り去ることはできない。
誰しも生きている間に、多少のオリはできてしまうものだ。
それがあることが人間として「良い加減」なんだと思う。
七割の安全と三割の危険、この「良い加減」を僕は楽劇的と呼んでいる。
「楽」はたのしい。
「劇」はスリルであり劇的。
「楽しく劇的なことをしようじゃないか」これが「いい加減の塩梅(あんばい)」なんだね。
なんでも完璧すぎるのはつまらない。
きっちり型にはまり、何事もバシッと決めてしまわなければいけない社会生活のなかで、
なぜかちょっとヌケていたり、だらしなかった方が安心し、また気持が微笑む気分になるというものだ。
今の時代はそこのところのアソビがなさ過ぎるから味気ないのではなかろうか。
「適当な内にもしっかりとした基準」の「いい加減だけど、良い加減」。
この日本文化のもっていた良さを、再発見してもらいたい。
『いい加減 よい加減』アクセス・パブリッシング
若い頃は波乱万丈、およそ狂言の名家に生まれたとは思えないような所業を重ねたと言う。
そして、「高卒だが、大学の教授となった」と笑う。
しかし、そのころの滅茶苦茶な経験と寄り道があったからこそ、
のちの総合芸術家、大イベントのプロデューサーとしての幅広い活躍につながった。
人生のうちで一番大事な青春を無駄に過ごすことは誰しも、取り返しのつかない大失敗だったと悔やむ。
だが、谷底が深ければ深いほど、そこから這(は)い上がった時の喜びは大きい。
そして、その無駄だと思える経験こそが、ワインのオリのような存在となる。
ワインのオリを取る唯一の方法は「ろ過」することだが、
これはやりすぎるとワインの渋みや酸味や甘み、といった細やかな「旨み」も取ってしまう。
いい加減は、良い加減であり、それは楽劇的、つまり「楽しく劇的なことをする」こと。
人生はジェットコースターのようなもの。
上ったり、下ったり、坂もあればカーブもある、恐怖のスピードだったり、
ゆっくりだったりと、スリルに満ちあふれている。
スリルがあるから楽しいし、ドラマがあるから面白い。
時にはあまり深く考えず、良い加減で、人生を楽しみたい。 |
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