2010.9.29 |
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あのアル・カポネでさえ |
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D・カーネギー氏の心に響く言葉より…
「おれは働き盛りの大半を、世のため人のためにつくしてきた。
ところが、どうだ…おれの得たものは、冷たい世間の非難と、お尋ね者の烙印だけだ」
と、嘆いたのは、かつて全米をふるえあがらせた暗黒街の王者アル・カポネである。
カポネほどの極悪人でも、自分では悪人だと思っていなかった。
それどころか、自分は慈善家だと大真面目で考えていた。
…世間は、彼の善行を誤解しているのだというのである。
シンシン刑務所長から、興味ある話を聞かされた。
およそ受刑者で自分自身のことを悪人だと考えている者は、ほとんどいないそうだ。
自分は一般の善良な市民と少しも変わらないと思っており、
あくまでも自分の行為を正しいと信じている。
犯罪者は、たいてい、自分の悪事にもっともらしい理屈をつけて、それを正当化し、
刑務所に入れられているのは実に不当だと思い込んでいるものなのである。
人間はたとえ自分がどんなに間違っていても決して自分が悪いとは思いたがらないものだ。
だから、他人のあら捜しは、なんの役にも立たない。
相手は、すぐさま防御体制をしいて、なんとか自分を正当化しようとするだろう。
それに自尊心を傷つけられた相手は、結局、反抗心をおこすことになり、まこに危険である。
偉大な心理学者ハンス・セリエはこういう。
「われわれは他人からの賞賛を強く望んでいる。そして、それと同じ強さで他人からの非難を恐れる」
批判が呼びおこす怒りは、従業員や家族、友人の意欲をそぐだけで、
批判の対象とした状態は少しも改善されない。
『人を動かす』創元社
人は、批判され、非難されればされるほど、自分を頑(かたく)なに防御し、自らを正当化しようとする。
そして、その批判や批評が当たっていれば当たっているほど、反発し、屈辱感は高まる。
人は、自尊心のかたまりだからだ。
非難という冷たい北風では、心はますます閉ざされるだけだ。
あのアル・カポネでさえ、自分は悪いとは思っていなかった。
相手の心の扉を開けるのは、温かな賞賛だけ。
賞賛することを多くし、相手の心に灯をともしたい。 |
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