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2010.9.12

聖徳太子の教え

櫻井よしこ氏の心に響く言葉より…

聖徳太子は数え歳で19歳の時、推古(すいこ)天皇の摂政(せっしょう)として、
日本国の首相となりました。

この時代の日本にとって非常に重要な問題は、宗教と外交でした。
宗教では、なんといっても仏教の伝来が大きな問題でした。

太子が登場する50年以上も前に日本に伝えられていて、
その仏教を受け入れるかどうかが議論になっていました。

当時の日本の宗教は、日本古来の神々を敬い祭る神道でした。
神道とはどういう宗教かといえば、山にも川にも、森にも池にも湖にも、
一本の樹木にも石にも、自然のすべてに神が宿っているという考えです。

今は、どこの神社にも立派な建物がありますが、古代神道には建物など何もなく、
たとえば大きな石の上に、後弊紙(ごへいし)をつけた棒を立て、
そこに、天から神が降りてくるというような、きわめて素朴な形だったのです。

その神々の前に、いかにも絢爛豪華(けんらんごうか)な金の仏像を持った神が現れたのです。
これは物部(もののべ)氏と蘇我(そが)氏の政治論争になり、戦争にまで発展しました。

しかし、聖徳太子が摂政(せっしょう)になったとたん、
「両方とも受け入れます」とパッと結論をくだしました。

「新しい宗教を受け入れるけれども、それは枝と葉っぱであって、
神道は幹なのです」という教えも定着させていきました。
古来の神々への敬いを忘れてはならないとして、敬神(けいしん)の詔(みことのり)を出しました。

これは特筆すべきことです。
海外諸国の場合、たとえば十字軍を見てみると、
彼らはキリスト教だけが正しいと信じて、武力でキリスト教に改宗させたり、
いうことを聞かなければその民を虐殺したりしました。

このように宗教というのは、えてして排他的で唯我独尊(ゆいがどくそん)なのですね。

世界を見回してみても、このように穏やかな宗教観は日本だけの特徴なのではないでしょうか。
宗教心において、まさに、これほど寛大で、優しい民族はいない。

人によっては、そのことを宗教心がないとか欠如しているとか言いますが、
その批判は違うと思います。

『日本人の美徳』宝島社新書

聖徳太子は実在の人物か、そうでないかなどの議論はある。
しかしどうであれ太子が伝えた、敬神の念や、寛容の心といった、
日本人の精神性は、現代日本人の血にも脈々と流れ、受け継がれている。

それは例えば、大晦日やお正月には神社に詣で、結婚式は教会で挙げ、お葬式はお寺でおこなう。
正月すぎには、神社やお寺で「豆まき」をし、「恵方巻」を食べ、秋には七五三のお宮参り、
そして、年の暮れはクリスマスを祝う。

諸外国からみたらあまりに節操がない国民だと思われるかもしれない。
しかし、この混沌(こんとん)とした寛容さこそが、世界でも例をみない、ユニークな徳目となっている。

どのような宗教であれ、愛や、幸せ、感謝、人を思う気持ち、赦し、
など人が生きていく上での根本的な教えは共通だと思う。
その大切な人類共通の様々な教えを、日本では古くから包み込んできた。

「寛大であること」、「排他的で唯我独尊にならないこと」、「敬神の念」

聖徳太子の教えが、今こそ世界で必要なのかもしれない。



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