2010.8.30 |
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必死の努力 |
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エルビン・フェルトナー氏の心に響く言葉より…
芸能界には、あらゆるハンディを克服して成功した人々がいっぱいいる。
ウィンギー・マノンは片腕のトランペッター、
サミイー・デイビス・ジュニアとピーター・フォークは片目しか見えない。
どもりを克服してカントリー・ソングのスターになったメル・ティリス、
はげ頭を個性的なシンボルにしたユル・ブリナー、
片腕がまったくきかなかったにもかかわらず、
アクロバット演技を専門として活躍したハロルド・ロイドなどがいる。
盲目のエンターティナーでは、レイ・チャールズ、スティービー・ワンダー、
ホセ・フェリシアーノ等々、数えだせばきりがない。
もうおわかりかと思うが、ハンディは誰の目にもはっきりわかる肉体的な欠陥だけとは限らず、
多分に第三者の評価や主観によって、それとみなされてしまうものが多い。
真の成功者は、法律や裁判所の判決によって守ってもらうことを必要としない。
今も昔も彼らは、権利の平等や人権擁護、その他の人為的なあと押しを要求せず、
自ら努力して成功する。
政府に対し、保護を求めたこともない。
他人の同情をひこうとしたり、特別扱いだの免税だの、あの手この手に訴えない。
ただ自分の能力によってたち、一番得意なことをやってきただけだ。
『“勝ちぐせ”をつけろ!』三笠書房
日本にもハンディを克服して、有名になり成功した人はたくさんいる。
しかし悲しいことに、その人たちを見て、
「ハンディで、同情を買って有名になった」などという人がいる。
あまりに、下卑ていて、さもしい考え方だ。
五体満足の人でも、成功するには、血のにじむような膨大(ぼうだい)な努力が必要だ。
ましてや、ハンディがある人が名を成すには、
それに倍するパワーと努力が必要なのは自明の理なのに…
ハンディがあって成功した人たちの話を聞くと、
「このハンディがあったからこそ、成功できた」と、ほとんどの人が言う。
成し遂げた人にしか言えない、重い言葉だ。
我々企業人は、競争があまりに激化すると、国に保護や特別扱いを求めたくなってしまう。
新たな競争相手が雲霞(うんか)のごとく現れれば、規制してくれないか、などと考えたくなる。
しかし、自らの努力なしに、まわりに助けや救済を求めたら、
ますます人に依存し、甘い人間を作るだけとなってしまう。
我々は、
死に物狂いの努力、血のにじむような努力をしてきただろうか?
まだ、他にはやることはないだろうか?
寝る間も惜しんで考えに考えただろうか?
もう一度、必死の努力をしてみたい。 |
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