2010.8.25 |
|
頭の良い人 |
|
作家の塩野七生さんの心に響く言葉より…
文藝春秋の随筆欄に寄せた丸尾長顕という粋人の一文に、
「女は結局のところ、頭の良いのが最高だ」という言葉があり、
いまだに私の頭の中から離れない。
常日頃から精神的女性論など振りまわす、
その辺りにゴマンといる自称フェミニストの言でなく、
丸尾氏の口から出た言葉だからこそ、重みも断然ちがって感じられたのであろう。
“女”とあるところを“男”に換えれば、私なども常々思っていたことと同じであった。
ここで言っている頭の良いということは、
おしゃべりしたりする時のためばかりに取っておかれる類(たぐい)の基準ではない。
どこでもいつでもすべての行動を律する、いわば基本、ベースと言ってもよいものだ。
だから、有名大学の競争率の高い学部を卒業して、
一流企業や官庁や大学に勤めている人が、
頭の良い男イコールにならないという例も、しばしば起こるのである。
日本では、教育はあっても教養のない男(これは女でも同じだが)は、
まったくはいて捨てるほど多い。
「頭の良い男」とは、なにごとも自らの頭で考え、それにもとづいて判断をくだし、
ために偏見にとらわれず、なにかの主義主張にこり固まった人々に比べて柔軟性に富み、
それでいて鋭く深い洞察力を持つ男、ということになる。
なんのことはない、よく言われる自分自身の「哲学」を持っている人ということだが、
哲学と言ったってなにもむずかしい学問を指すわけではなく、
ものごとに対処する「姿勢(スタイル)」を持っているかいないかの問題なのだ。
だから、年齢にも関係なく、社会的地位や教育の高低にも関係なく、
持つ人と持たない人のちがいしか存在しない。
『男たちへ』文藝春秋
「この頭の良いのが最高」というのは、誤解されやすい言葉だが、
有名な大学を出たり、一流企業や研究所にいる、
いわゆる頭の良い人を指して言っているのではない。
塩野さんは、「頭の良い男」の条件は、
自らの哲学すなわち「姿勢(スタイル)」を持っていることだという。
私が考える「頭の良い男(女)」と言われる人の条件は、まず「人に好かれる人である」ことだ。
「人に好かれる」には、聞き上手であり、喜んだり、驚いたりするのが自然にできる人。
また、気遣いが上手で、相手を喜ばせるのが好きな人。
それは、おべんちゃらを言うとか、おべっかを使うとか、そういうことではない。
自分をしっかり持っていて、成熟した大人であり、自立している人のことを言う。
成熟した大人とは…
いったん事あれば、相手が唸(うな)るような気の利いた言葉を発する人。
子どもといれば一緒になって本気で遊べる、こだわりのない良寛さんのような人。
重みや、厚みがあり、しかも沈みのある、深い人。
飄々(ひょうひょう)として、しかも淡々としている人。
ウイットがあり、洒落(しゃれ)た、粋な人。
そんな「頭の良い人」でありたい。 |
|
|