2010.8.11 |
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時が熟さなければ分からない |
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致知出版社の藤尾秀昭社長の心に響く言葉より…
松原紗蓮(しょうれん)さんという尼僧の方の話です。
松原さんは両親の離婚により、
2歳7ヶ月の時に、愛知県の浄名寺に預けられます。
その事実が分かったのは中学2年の時。
自分の生い立ちを知った少女は、
それまでの聞き分けのよい少女から一変、
髪は金髪、耳にピアス、暴走族の仲間に交じり、
薬に手を出し、幾度も自傷行為を繰り返す。
しかし、そんな彼女を事実上の育ての親である庵主(あんじゅ)は
一切とがめず、松原さんが二十歳になった時、
断固として寺修行に行かせ、立ち直らせたのです。
後日、自分の愚かな行為を反省するまでに成長した松原さんが
「なぜ、私を叱らなかったのか」
と訊ねると、庵主はこう言ったといいます。
「人間は、時が熟(じゅく)さなければ分からないことがある。
ひと月前のおまえに
私がどれだけよい言葉を聞かせても、
かえって反発を生むだけだった。
いまおまえが分かるということは、
おまえに分かる時がきたということだ。
仏道は待ちて熟さん」
月刊致知9月号付録「賜生(しせい)」より
家庭でも会社でも同じだが、子どもや部下の間違いを指摘したり、
こうした方がいい、ああした方がいいと、手取り足取り教えてしまうことは多い。
特に、失敗するのが分かっている場合は、どうしても口出ししてしまう。
ましてやそれを、ずっと黙って見ているのは、並大抵(なみたいてい)の我慢ではない。
よく、相談したいと言ってくる人は、既に自分で結論を決めてから来る人が多い。
相談といいながら、自分の意見を認めてもらいたいだけなのだ。
その人の人生はその人が決める。
人の行動を上から押さえつけて変えることはできない。
すべては、その人がやる気にならなければ、何も変わらない。
つまり、機が熟すことが必要。
機とは、物事の起こりや、きっかけのことであり、チャンスや運のことでもある。
物事には、すべてにおいて、ちょうどよい時期がある。
「仏道は待ちて熟さん」
人を育てるには…
口出し手出しをせず、ただひたすら見守ること。
待つことも修行だ。 |
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