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2010.7.31

朝三暮四(ちょうさんぼし)

大阪大学教授の湯浅邦弘氏の心に響く言葉より…

「天鈞(てんきん)に休(いこ)う」 (荘子)

人の言動は、価値判断にもとづく。
美醜(びしゅう)、善悪、好き嫌い、
さまざまな価値観が私たちの身の回りにあふれている。

そして、その価値観は、特に意識するまでもなく、
ごく当たり前のこととして私たちの言動を規制している。

荘子は、そのことを次の有名な寓話(ぐうわ)で語っている。

『猿つかいの親分が栃(とち)の実を猿どもに分け与えるのに、
朝三つ、夕方四つでどうだ、と言ったところ、猿どもはみな怒った。
では、朝四つ、夕方三つでどうだ、と言ったところ、猿どもはみな喜んだ』

合計七つという数には変わりがないのに、
「朝三暮四(ちょうさんぼし)」か「朝四暮三」かで、怒ったり喜んだりする。
ことば一つで、まったく正反対の反応を示してしまうのである。

しかし、荘子が訴えたいのは、猿の愚かさではなかろう。
ことばの上での微小な差異を増幅させてしまう人間の愚かさをいっているのである。
だから、そうした表面的な違いに心を動かして勝手な価値判断を下すなと荘子は説く。

そして、「是非」の価値判断を超越した境地、すなわち「天鈞」に身を置けというのである。

『中国古典に探す座右の銘』角川SSC新書

天鈞とは、「善」も「悪」も、「幸」も「不幸」も、天から見たらつりあっているという意味だ。
荘子は、美も醜も、好きも嫌いも、結局は同じことだという。

それが、「朝三暮四」の教え。

病気になり、職も失い、どん底の状態になった、
しかしそのことがバネとなり、後に大成功した、というようなことだ。

「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄(なわ)のごとし」(史記)、という言葉がある。

美人で生まれたことが幸でもなく、不美人で生まれたことが不幸ではない。
いい学校へ行けたことが幸せではなく、いい学校に行けなかったことが不幸せでもない。
今、不運だと思っている人も、それは天から見たら、表面的なこと。

我々は、朝に三つしかもらわなかったと、
不運を嘆き、それが四つもらえた途端(とたん)に機嫌がよくなる。

だが、トータルでもらえる数は一生のうちでは同じだとしたら、
毎日の表面的な出来事に、一喜一憂するのは馬鹿馬鹿しい。

「失意のときは泰然(たいぜん)」と、どっしりと構え、動じない。
「得意のときは淡然(たんぜん)」と、淡々として、驕(おご)らない。

天鈞(てんきん)の境地で毎日を過ごしたい。



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