2010.7.25 |
|
「幸せだなあ」とつぶやく |
|
医師であり作家の、渡辺淳一氏の心に響く言葉より…
以前からわたしはお酒を飲んだり、食事をしたあと、トイレに立って小水をする。
このとき、白い陶器に当たる小水を見ながら、「幸せだなあ」と、密かにつぶやくことがあります。
そして、きちんと小水を出してくれた自分の腎臓(じんぞう)や膀胱(ぼうこう)、
さらには尿道に、「ありがとう」とささやきます。
こう書くと、「そんなこと当たり前じゃないか」「水を飲んだら、
小水が出るのは当然だよ」といわれるかもしれません。
でも、そんな単純なことではありません。
水を飲んで小水を出す、その過程で、腎臓は流れ込んできた血液の中から水分を抜き取り、
尿管はその水分を膀胱に運び、膀胱はそれを一定の量まで貯めて、
頃合をみて尿道から排泄してくれるのです。
この間、わたしのなかの数えきれないほどの細胞が、
定められた役目に添って、懸命に働いているのです。
もしこのなかのうちの、どこか一つの部分でも故障したら、
たちまち尿は詰まり、出なくなってしまうのです。
実際、そういう病気はいろいろあって、それで苦しんでいる人は沢山いるのです。
たとえば人工透析している人は腎臓が弱っていて、小水がスムーズに出ないのです。
そのため、できるだけ水分を控えめにして、どうしても喉が渇くときは、
酸性のすっぱいものをとるようにするなど、日々大変な努力をしているのです。
それでも不充分なので週に二、三回病院に通い、ベッドに横になり、
尿を出すかわりに、血液を透析してもらっているのです。
もし、これを怠けたら、たちまち尿を排泄できなくなり、死が迫ってくるのです。
現実にそういう人々を見たら、思い切りビールを飲み、
そのあと小水をしたくなってトイレに行って放尿する。
それがなんと幸せなことであるか、しみじみわかるはずです。
そのことだけで、偉大な幸せを掴(つか)んでいるのです。
それでも不幸だと思っているのなら、大切な身近な幸せを忘れ、
それを無視しているだけなのです。
『幸せ上手』講談社
渡辺氏は、「健康とは、全身すべての臓器の存在を感じない」ことだという。
臓器だけでなく、体の部位の存在も同じだ。
膝が痛いときは、膝の存在を感じるし、首が痛いときは首の存在を感じる。
同時に、心臓が動いていることも、手や足が動くことも、
小水が出ることも、普段は当たり前のこととして忘れている。
それらの機能が損なわれた時、はじめてその存在に気づく。
ありがたい、とは「有り難い」と書く。
有ることが、稀(まれ)である、奇跡のようなことである、というのが本来の意味だ。
夜寝て、次の日の朝起きることができる、という簡単なことが本当は奇跡のようなこと。
心臓は我々が寝ている間も、食事の間も、一瞬も休むことなく仕事をし、血液を送ってくれる。
まさに、ありえないような奇跡であり、「有り難い」こと。
日頃あたりまえだと思っている体の機能に、思いを馳せ、感謝の気持を伝える…
自分の体に「ありがとう」、「幸せだなあ」とつぶやきたい。 |
|
|