2010.7.23 |
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人生1000年計画 |
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ひろさちや氏の心に響く言葉より…
70歳になる老僧が、英語の勉強をはじめた。
明治のころの話である。
「ジズ・イズ・ア・ペン」といった初歩からはじめるのである。
いくらなんでも、七十の手習いは遅すぎる。
見かねた弟子が、
「無理ですよ。およしになれば…」
と忠告する。
「わしも、いまさらやってもものにならんと知っている。
しかし、単語の一つでも二つでもおぼえておけば、
このつぎ生まれてきたときに楽ができると思うてな…」
老僧はそういったそうだ。
鈴木正三(しょうさん)といえば、徳川氏の家臣で、
家康・秀忠に仕え、関が原の戦、大阪の陣に勲功のあった人だ。
彼はのちに出家して、「仁王禅」という独得の禅を提唱した。
その鈴木正三のことばに、
「一生に成仏せんと思うべからず」
がある。
仏道修行というものは、悟りを開いて仏になる。
すなわち「成仏」をめざしたものである。
ところが、正三は、この一生のあいだで悟りを開こうと思ってはいけない、というのだ。
たぶん、“あせり”の心を戒めたものだと思う。
そういえば、子どものころに祖母から聞かされた話がある。
あるとき、弁慶と義経が、めし粒をつぶして糊をつくることになった。
大量の糊が必要なので、あせった弁慶は大鉄棒でめし粒をかき回す。
そんなことをしても、糊はできない。
弁慶は失敗した。
一方、義経のほうはじっくり型だ。
小さな箆(へら)でもって、一粒一粒、たんねんにつぶしていく。
遅いようだけれども、結局はそちらのほうが早いのである。
企業だってそうだと思う。
短期間のあいだに企業を発展、拡大させようとすれば、どこかに無理がかかる。
それで失敗するのではなかろうか…
企業の発展を、つねに次代の社員に託す気持ちが必要である。
次代、次々代、さらにその次の世代の社員たちが、少しずつ企業を拡大していってくれる。
そんな気持ちでいると、皆がゆったりと生きていける。
『非常識のすすめ』すずき出版
私の大先輩に、会社を経営しているゴルフ好きな会長がいる。
先日、お会いしたとき会長はこう言った。
「今、ゴルフのスイングの改造を始めたんだ」
もう、70歳を過ぎている方である。
私は、驚いて思わず聞いた。
「今から、改造をするんですか?」
会長は、
「そうだよ。人生1000年計画だからね」
と、煙にまかれた。
人生を1000年と考えれば、今生(こんじょう)の7.80年は、わずかな一瞬に過ぎない。
「明日世界が滅びるとしても、今日りんごの木を植える」
という言葉がある。
働いている店が閉店になることが決まり、いよいよ明日閉店という前の日、
いつもどおり変わらずに掃除をし、笑顔で淡々と接客できる人がいる。
反対に、もう明日終わりなのだから、適当に掃除をし、
もう二度と会う客ではないのだからとばかり、投げやりに接客をする人もいる。
明日無くなる店だからこそ、今までのお礼を込めて、
一所懸命掃除をする姿勢は、必ず次につながる。
「年だからこそ」、「明日終わりだからこそ」、やるべきことはたくさんある。
自分ができなけば次の世代と、いくつになっても、夢を持ち続け挑戦し続ける人には魅力がある。
こせこせしないゆとりと余韻がある。
人生は1000年計画。
たとえ、未完に終わってもいい、失敗してもいい。
いつからはじめたって、遅くはない。
あせらず、ゆったりと人生を歩みたい。 |
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