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2010.7.22

浮世のことを軽く視(み)る

齋藤孝氏の心に響く言葉より…

福沢諭吉は決して自分の持ちうるすべてを投げ出すような真似はしない。
精神的にも物質的にも、生きていくだけのものは必ず残しておいて、その余剰で勝負をかける。
余裕を持って臨めば、大小の局面の変化に踊らされて一喜一憂しなくてもすむのである。

ひとことで言えば、福沢は非玉砕主義だといえる。
先の引用は、非玉砕主義を貫いている福沢の屈強(くっきょう)さが如実(にょじつ)に表れている。
これこそ現代人が模範にしてほしい精神だ。

ところが、日本人には人生のすべてを賭けることに美学を見出すところがある。
五分五分の勝負ならともかく、一か八かの負け戦でさえ戦って散る精神を評価したがる。

若い世代を見てみると、「この会社に就職できなかったら就職しない」などと平気で言う。
「やりたいと思っていた仕事に配属されなかったので辞める」というのもめずらしくない。
玉砕の美学は根強い。

では、なぜ福沢は非玉砕主義というタフさを持てたのか。
私は福沢が、何か特定の事業への一元的な情熱に駆られてやっていたから
くじけなかったとは思っていない。

むしろ自分自身を複線化していったことが大きかった。
翻訳、出版、学校経営、新聞発行…など、事業を広げておいたから逃げ道がある。
自分にはこれしかないという思い詰め方はしなやかさに欠ける。
物事との距離感も足りない。
そういう人ほど、心がポッキリと折れてしまいやすいのだ。

福沢は「浮世のことを軽く視る」心構えでいたから軽やかなのだ。
福沢は最終的な自分のよりどころを、
「浮世の戯(たわむ)れ、仮の相(そう)」と言う言葉に見つけていた。

『座右の諭吉』光文社新書

「あの学校に入れなかったから、勉強する気がなくなった」
「入社したけど、思っていた仕事と違うから、辞める」
一つのことがうまくいかなかったから、全部やめてしまう、という人は多い。

そのことだけを考え、極端に、視野が狭くなっているからだ。

富士山に登る道はいくつもある。
それなのに、登るにはこの道しかないと決めてしまっている人は多い。
もし、その道を行けなくても、他のルートや方法見つけられる人は、頂上を目指すことができる。

「放下著(ほうげしゃく)」という禅語がある。
趙州和尚(じょうしゅうおしょう)の言葉だが、「こだわりを捨ててしまえ、放り投げろ」ということ。

「うまくいかなかったら、放り投げろ」ということではなく、すべての「こだわりを捨てろ」、と言う意味だ。
一つのことに執着し、こだわると、柔軟性がなくなる。

「あの学校」、「ずっと思っていた仕事」という、「こだわり」、「執着」、「とらわれ」、を捨てること。

今東光氏は、「人生は、冥土(めいど)までの暇つぶし」といい、

梁塵秘抄(りょうじんひしょう)では、「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん」という。

冥土へ行く前には、人の一生を一瞬で映し出すという、浄玻璃(じょうはり)の鏡があるという。
厳しい仕事も、眠れぬくらい深刻な問題も、浄玻璃の鏡の前では、一瞬の夢のようなもの。

だからこそ、この世には、遊ぶため、戯れるために生まれてきたと考えることもできる。
浄玻璃の鏡の前に立つまでは、今はまだ、夢幻(ゆめまぼろし)の仮の姿。

遊び、戯れるとは、決して努力をしなくて言い訳ではない。
それは、放下著という、こだわりを捨てる、しなやかな世界。

心がポッキリ折れてしまいそうになったら、「浮世のことを軽く視る」ことも必要だ。



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