2010.7.21 |
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軽躁(けいそう)なるもの |
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阿川弘之氏の心に響く言葉より…
日本人の国民性を一言で言い表すとしたら、何でしょうか?
世界中の人が多分すぐ思い浮かべるのが「勤勉」、「几帳面(きちょうめん)」、
それと並んで、残念ながら「軽躁(けいそう)」も、もう一つの特性だと思います。
字引で引くと、「落ち着きがなく、軽々しく騒ぐこと」とある。
何かあるとわっと騒ぎ立ち、しばらくするときれいさっぱり忘れてしまう。
熱しやすく、冷めやすい。
日本人の性格がどうも軽躁であると見抜いて注意を払っていた戦国武将は、武田信玄です。
「主将の陥(おちい)りやすき三大失観」と題した信玄の遺訓を読むと、
その中の一つに、「軽躁なるものを勇豪(ゆうごう)とみること」とあります。
さすが風林火山を旗じるしに掲げた武人の洞察力だと思います。
風林の「林」は「徐(しず)かなること林の如し」で、軽躁の反対、
静謐(せいひつ)の価値を重く見ているんですからね。
清原善澄という学者の家にあるとき強盗が押し入り、家財道具一切合財を盗んで行く。
床の下に隠れてみていた善澄は、どうにも悔しくて我慢ならなくなり、
ようやく一味が立ち去ろうとする時、
後ろから「お前たち、明日必ず検非違使(けびいし)に届けて捕まえてやる」と罵(ののし)った。
怒った泥棒がとって返して、善澄は斬り殺されてしまう。
この話、『今昔物語(こんじゃくものがたり)』に出ています。
作者は、こう批判している。
「善澄、才めでたかりけれども、つゆ和魂(やまとだましい)なかりけるものにて、
かくも幼きことをいひて死せるなりとぞ」
要するに、幼稚なことを言ったばかりむざむざ命を捨ててしまった、と。
「やまとだましい」は「大和魂」と書かれますが、
「今昔」が「和魂」と書いている通り、ほんとうは漢才(かんざい)に対する和魂(わこん)なんです。
日本人なら持って然るべき大人の分別なんです。
『大人の見識』新潮社
武田信玄は、落ち着きが無く、軽々しく騒ぐ輩(やから)を、
強くて勇ましい人だと勘違いしてはいけないと説く。
どっしりとして、深さと重みがある人こそが、真に勇豪の人だ。
「匹夫(ひっぷ)の勇、1人に敵するものなり」(孟子)
孟子が魏(ぎ)の恵王(けいおう)に説いた言葉だが、
匹夫とは卑(いや)しい身分で、道理をわきまえない男の意。
むやみに目を怒(いか)らせ、すごみをきかせ、血気にはやるような愚か者の勇気は、
せいぜい一人しか相手にできない。
今昔物語にあるように、乱世にあっては、幼稚な正義感や勇猛心は匹夫の勇となり、
自らの命を縮めることになる。
和魂(わこん)は「にきみたま」ともいい、優しく太陽が降り注ぐような、和(なご)みの心。
和魂漢才とは、日本古来のよき精神や大和心を大切にしつつ、
中国古典の英知や学問のよきところを受け入れること。
むやみに騒ぎ立てる「軽躁」ではなく、
どっしりと構える「和魂(やまとだましい)」を身につけたい。 |
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