2010.7.14 |
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与え続ける練習 |
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北川八郎氏の心に響く言葉より…
「わたしは勝(すぐ)れている」、「私は等しい」、また「わたしは劣っている」と考えている人は、
それによって争うであろう。(神々との対話 歓喜の園より・仏陀の言葉)
いつも、人からどう見られるかが気になる人は、
同じように他の人の行為や服装、仕草や日常の感情にも、評価を持ち込んでくる。
そして、他人を計る目で、自分を計り、やがて人の輪から遠ざかる。
なぜならいつも自分が噂になっていると、気になり、心がとがってくるからだ。
人と正面から目を合わせなれなくなり、左右の目の端から、チラ…チラ…と、
他人を観察し始めたら、仏陀のことばになじみ、自分を修正してゆくがいい。
善意を与えっぱなしにすること。
ただ、ただ、与えること。
返ってくることを考えないで、与えっぱなしの練習をすると、心がおだやかになる。
勝った負けたの世界よりも、「ありがとう」と、「大好き」の世界の方がなんと楽しく生きいけることか。
瞑想を覚え、人を許し、人のために生きてゆくことの方が、自分を救う近道であろう。
『ブッダのことば「百言百話」』致知出版
我々は、子どもの頃から、ずっと比較されて育ってきた。
兄弟や家族、同級生や友人、学校での成績、等々。
同時に、自分も人と比較して生きてきた。
人と比べて自分は、「優れているのか劣っているのか」、
「上なのか下なのか」、「偉いのか偉くないのか」、など。
「勝っている」と思っている人は、「上から目線」だったり、「偉そうな言い方」だったりする。
「負けている」と思っている人は、「おどおど」したり、「卑屈(ひくつ)」だったり、「下卑(げび)」ていたりする。
見返りを求めず、善意をただただ、与え続けることは、他人と比較しないための訓練。
損得を一切考えず、自分の我を捨て、人の幸せだけを考える。
与え続ける練習を続ければ、角がとれ、心が優しくなり、やがて感謝の心が生まれる。
「俺が、俺がの、我(が)を捨てておかげ、おかげの、下(げ)で生きる」
見返りを求めないのは、我を捨てるという、謙虚な下座の心。
「おかげさま」の気持ちで、与え続ける人生を歩みたい。 |
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