2010.7.8 |
|
貧しさの哲学を忘れてしまったとき |
|
ウシオ電機会長の牛尾治朗氏の心に響く言葉より…
戦後日本の成功の秘訣は集団主義、現場主義、完璧主義にあると私は思うんですが、
これらはいずれも貧しさによって支えられてきました。
戦後七年間くらいの日本の貧しさというのは、それは尋常ではなかったですね。
特に町に住んでいた人は空襲で焼け出されて、住むところもなかった。
そこに、日本が伝統的に持っている清貧の思想というのがきらびやかに出てきて、
集団主義を支えるんです。
相田みつをの言葉に、
「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる
うばい合えば憎しみ わけ合えば安らぎ」
というのがあって、仏教の精神を非常に分かりやすく表現していますが、
日本には貧しいときは分かち合おうという気持ちが伝統的にある。
集団主義というのは、清貧の思想に支えられた分かち合いの気持ちから生まれたものです。
現場主義というのは、せめて先進国並みの文化生活を手に入れたいという、
貧しい現場の切実な思いから生まれてきています。
問題が起きたら本社であれこれ理屈をこねていないで、すぐ工場やお客さんのところに行く。
その現場主義が、アメリカのスタンフォードやハーバードの机上の経済学との競争に勝ったんです。
三番目の完ぺき主義というのは、日本人にもともと備わってきた性質でもありますが、
貧しさから抜け出してアメリカを追い抜こうという時に、これが一層発揮されたわけです。
日本人の時間厳守もその一つです。会合でも年を取れば取るほど早く来るでしょう(笑)。
一緒に仕事をさせてもらった土光敏夫さんなんか、十時集合というと、
もう九時半から座っておられたものですが、
日本では伝統的に、遅れる人はリーダーの資格なしと見なされています。
ところが、豊かになるとこの三つの主義がいずれも崩れてしまうんです。
集団主義は、あいつのほうが得をしているんじゃないかと
嫉妬心やいろいろな疑念が生じてきてバラバラになります。
現場は3Kといわれて敬遠されるようになる。
さらに完璧主義も、まぁこんなものでいいだろうという気持ちが蔓延(まんえん)して、
たがが緩(ゆる)んでしまう。
あの事業仕分けで、「世界一になる理由は何があるんでしょうか?
二位じゃダメなんでしょうか?」という質問をして物議をかもした議員がいました。
あとで発言を修正したようだけれども、ナンバーワンを求めるからこそいいものができるんです。
スポーツだってそうですよね。
金メダルを取ろうと思うからその競技にかかわる裾野が広くなるんで
それを最近の小学校のかけっこみたいに、順番をつけるのはよくないというのではね。
もちろん順位にかかわらず努力することは賞賛されるべきです。
しかし、ナンバーワンを求める精神から生まれる完璧主義がいま、
豊かさの中で揺らいでいて、それが日本の活力を奪っています。
貧しさの哲学によって支えられ、戦後日本の躍進の原動力となっていた
集団主義、現場主義、完ぺき主義を、今後豊かさの中でどう維持するか。
日本はいま大きな境目に来ているんですが、未来に対する確固たる展望がありませんし、
努力もしないで不平不満を言って誰かを非難する風潮が蔓延しています。
『教学を先とす』致知2010年8月号より
日本は戦後、豊かになり得たものは多いが、反対に失ったものも多い。
日本の成功の秘訣といわれる、「集団主義、現場主義、完ぺき主義」も失いつつあるものの一つだ。
資源が無い日本は、勤勉の精神、ハングリーの精神でここまでやってきた。
そして多くの先輩方が努力に努力を重ねた結果、日本は奇跡的に豊かになった。
しかし、皮肉なことにその豊かさゆえの、さまざまな綻(ほころ)びが出始めてきてしまった。
栄華を誇ったローマ帝国は、「パンとサーカス」で滅びた、と言われているが、
国民から緊張感がなくなり、驕(おご)りと緩(ゆる)みが出たとき国は滅びる。
色々な条件が整っていなかったからこそ、努力をし、技術を身につけた。
そして、「集団主義、現場主義、完璧主義」という、よき考え方が浸透した。
しかし、ちょっと豊かになり、その条件が揃(そろ)ってきたかのよう見えると、途端に努力を忘れる。
清貧とは、私欲がなく、生活が質素であり、高潔であること。
いまこそ、「貧しさの哲学」、そして「清貧の思想」を思い出さなければならない。 |
|
|