2010.7.2 |
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一行三昧(いちぎょうざんまい) |
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藤原東演師の心に響く言葉より…
昭和の実業家で政治家であった正力松太郎(しょうりきまつたろう)は、若い頃からよく座った。
剣道もなかなかの腕であった。
その正力が強くなった秘訣を語っている。
あるとき剣道の先生のところに行き、教えを請(こ)うた。
「どうしても今一つのところに迷いがあり上達しませんが、どうしたらいいのでしょうか」
すると先生は逆に聞く。
「どういうところがいけないのだ」
「お面を行こうと思うときに、どうしてもお胴が空くように思われて困りますが」と答える。
先生はこういい切った。
「お面を行こうと思ったらお面へ敢然と打ち込め。お胴は取るなら取らせろ」
それ以後、正力の剣の道は大変進んだという。
後日、そのことを正力が先生に語ると、
「そんなこと誰にも言っているが、お前さんのように本気で受け取らんだけだ」と語られたという。
(禅心禅語)
迷いがなかなか晴れないとき、その迷いを取ろうとしても取れるものではない。
もし負けたら、もし失敗したらとか、もし結果が悪かったら、
と思い出したら際限なく迷いが生まれ、目前のことに向かう気持ちが半減する。
まず目前のことに身も心も打ち込んで、一つになる。
そうすれが、自ずと、迷いや不安がどこかへ消えていく。
そうすると、心にゆとりが生まれる。
一つのことに飛び込む。
これを禅では「一行三昧(いちぎょうざんまい)」という。
『禅が教えてくれた悩む力』知的生き方文庫
「一行三昧」とは、一つことに集中し、それにひたりきること。
我々は、なかなか、目の前のことに、没入することができない。
ただひたすら、徹(てっ)しきり、なり切ることができない。
最近では、よくスポーツなどで、「ゾーンに入る」という言い方をする。
ゾーンに入ると、まわりがどんなに騒がしくても、
まったくそれが気にならないし、集中力を乱されない。
すなわち、一行三昧の心境だ。
何かを決めなければならないとき、
それが人生を左右するような大きな問題であればあるほど、人は迷い、不安を抱く。
自分の身を守りながら、攻めることはできない。
攻めると決めたら、身を捨て、ただひたすら打ち込むしかない。
「断じて行えば鬼神もこれを避く」の通り、肚をすえ、決死の覚悟で行えば、
鬼神さえもその勢いに道をあける。
いったん、この道を往くと決めたら、成功しようが失敗しようが関係ない。
決めれば、不思議に心に余裕ができる。
まず、一歩を踏み出し、「一行三昧」となりたい。 |
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