2010.6.17 |
|
にもかかわらず笑う |
|
精神科医の斉藤茂太先生の心に響く言葉より…
仲間とお酒でも飲んでワイワイやっているときに、
「私ね、この前、こんな失敗しちゃって大恥かいたのよ」という話ほど、
場を盛り上げるものはない。
人には大雑把にいって、ふた通りあるのではないか。
成功談を話したがる人と、失敗談を話す人。
これは、人の好みなのだろうが、
私は断然、後者の失敗談を話す人のほうに魅力を感じる。
しかも明るく笑っているところがよい。
何も「人の不幸は蜜の味」といっているのではない。
その人だって、失敗が楽しいわけでもなく、つらく悲しい思いもしたのだろうが、
その気持ちをふり払って、明るく笑って…
これは、よほど力のある人でなければできないことだ。
また、これは人に好印象を与えるばかりか、自分自身のためにもよい。
入院している患者さんをみていて気づくことは、
病気にめげず陽気に笑っていられる人のほうが回復が早いようである。
ドイツ人はよく「にもかかわらず笑う」という。
病気にもかかわらず、失敗をしてつらい思いをしたにもかかわらず、だ。
かかわらず笑うことで自分が癒され、また魅力的な人にもなれる。
『すべてを「投げ出したくなったら読む本』新講社ワイド新書
仲間が何人か集まっているときに、
だれか人が入ってくると、パッと場が明るくなることがある。
そういう人の周りには笑いがたえない。
その主な話題は、成功談ではなく失敗談であることが多い。
人は、成功談は神妙にして聞くが、それで大笑いすることはない。
しかし、失敗談を笑いながら話す人は、年長者や先輩であっても、近(ちか)しく感じる。
笑いと失敗談は垣根を取り払うからだ。
自分の失敗や不運を笑い飛ばせる人は、パワーを持っている。
余裕がある。
たとえその人が、その時どん底にいようと、この人は大丈夫、と思わせる。
どんなときでも、「にもかかわらず笑える人」でありたい。 |
|
|