2010.6.13 |
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すべては天からの預かりもの |
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真言宗大阿闍梨(おおあじゃり)の大栗道榮師の心に響く言葉より…
釈迦は、おっしゃった。
「これは俺の財産だ、俺の土地だ、家だ、息子だ、娘だ、と思い込んでいる。
そして、愚かにも、それを守ることに苦しんでいる。
自分の身体さえ自分の思うようにならないのに、
財産や子どもがどうして自分のものであろうか」
この世の中のものは、何一つ自分のものではない。
ただ、自分は荷物の一時預かり所の職員のようなもので、
天命というお客が取りにきたら、いつでも渡さなければならないのだ。
では、どうすればいいのだろう。
中国の司馬温公(しばおんこう)という人が、家訓に、
「子孫のために万巻の書を積んでも、子孫はそれを読まないかもしれない。
子孫のために大金を残しておいても、子孫はそれを守らないかもしれない。
子孫をいつまでも栄えさせようと思えば、
世の人々のために陰徳(いんとく)を積んでおくことが最も大切なことである」
陰徳というのは、「世のため人のために善いことをせよ。だが黙ってやれ」というのである。
世の中に利口な人は多いが、なかなか成功しないのは陰徳を積まないからである。
『空海 感動の人生学』 中経の文庫
私の大好きな小冊子「ほほえみ読本」の中に、こんな詩がある。
『捨てて』
どんな大事なものでも
荷物はみんな捨ててください
自分の体も捨てるんですよ
……三途の川の番人の言葉……
今ある自分の家も、車も、子どもも、
どんな大切なものであろうと、自分のものは一つもない。
すべては天からの預かりもの。
あの世に行く時は、みんな置いていかなければならない。
自分のものだと思っている、自分の身体さえ思い通りにはできない。
疲れもすれば、病気もする。
食欲ひとつ制御できない。
ほんとうに、大切なことは、物や金ではない。
だから、どんなに大金持ちであろうと、うらやむことはない。
大事なことは、人に知られずに、徳をどれだけ積んだか、ということ。
ただひたすら、陰徳を積みたい。 |
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