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2010.6.9

一歩を越える勇気

若き登山家、栗城史多(くりき のぶかず)さんの心に響く言葉より…

ヒマラヤの8000メートル峰でも、苦しければ苦しいほど出る言葉がある。
それは「ありがとう」だった。
一歩が出ないほどつらいとき、「ありがとう」と口にすることによって一歩が出る。
逆に、山にたいして「ちくしょう」とか「負けないぞ」というような気持ちを持ってしまうと、力は出ない。
山に対峙してはいけないのである。
苦しみも不安もすべては自然の一部であり、僕らはその自然の中の一部である。
苦しみを受け入れ、そして感謝する。
「ありがとう」は、困難な時代を乗り越える力のある言葉かもしれない。

企業のトップの人たちは、登山家と同じように命をかけている。
自分だけではなく社員の命も背負っている人たちだ。
中には、一度は会社が倒産しても、
そこから這(は)い上がってきて成功しているという人たちもたくさんいるのだ。
経営者だけでなく、誰もにいえることだが、生きていること自体が冒険なのだ。
僕にはその人たちから学ぶことがたくさんあった。
僕が幸せなのは、ヒマラヤで自然の偉大さを学び、下界では人間学を学んで、
そこで自分は今何をすべきなのかということを、自然と身につけることができたことだ。
学びこそ最大の財産であると思う。

ヒマラヤは、ないものだらけの世界だ。
もちろん、もともと人間が住むことのできない世界であるから、
水もなく、食事もなく、親しく話ができる人もいない。
ヒマラヤで、そんな生活を一ヶ月以上もしていていつも思うことは、
当たり前に思える毎日の生活が、当たり前でないということ。
山に登るということは、帰るべきところのありがたさを再認識することだ。
人は、孤高の山で一人で生きていくことはできない。
人間は生かされて生きていることを感じるのだ。
だからこそ、僕は自分を幸せ者だと言えるのだ。

『一歩を越える勇気』サンマーク出版

栗城さんは1982年生まれで、28歳になったばかりの若者。
身長は162センチで、体重60キロと小柄だ。

しかも、肺活量、筋量は成人男子の平均以下という肉体にもかかわらず、
3年間で6大陸の最高峰に単独、無酸素登頂してきた。

高校卒業後に東京で夢も希望も持っていないフリーター・ニート生活をしていたという。
それで、「ニートのアルピニスト」と呼ばれたこともあった。

登山をするときは、「執着を捨てる」という気持ちが大事だという。
もちろん、山頂を目指すという夢を捨てるわけではない。
自分の力で登っているという「我」の部分が問題で、むしろ、
「山の神様にお任せします」、という気持ちが必要なのだそうだ。

登山は死と隣り合わせだ。
普通、人が生きていられない酸素濃度の標高を、無酸素で登ることはさらに危険が増す。

高校の頃、ガンで母を亡くした栗城さんが誓ったことがある。
それは、彼の母の最期がそうであったように、「けっして弱音を吐かないこと」そして、
最後に「ありがとう」と言ってこの世を去れる人間になること、だ。
そのためには、「中途半端に生きてはいけない」、と。

人生はよく登山に例えられる。
山あり谷ありの人生だが、
どんなに苦しくとも、「一歩を越える勇気」を持ち続けたい。



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