2010.5.12 |
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「思い上がり」と「愛嬌」 |
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司馬遼太郎氏の心に響く言葉より…
人間、思い上がらずになにができましょうか。
美人はわが身が美しいと思い上がっておればこそ、
より美しくみえ、また美しさを増すものでござりまする。
才ある者は思い上がってこそ、
十の力を十二にも発揮することができ、
膂力(りょりょく)ある者はわが力優(まさ)れりと思えばこそ、
肚(はら)の底からわきあがってくるものでござります。
南妙法蓮華経の妙味はそこにあると申せましょう。
《国盗り物語 一》
竜馬も、ニコニコした。
その笑顔が、ひどく愛嬌(あいきょう)があり、
(おおみごとな男じゃ)と西郷はおもった。
漢(おとこ)は愛嬌こそ大事だと西郷はおもっている。
鈴虫が草の露を慕うように万人がその愛嬌に慕い寄り、
いつのまにか人を動かし世を動かし、
大事をなすにいたる、と西郷はおもっている。
もっとも、西郷の哲学では、愛嬌とは女の愛嬌ではない。
無欲と至誠からにじみ出る分泌液だと思っている。
《竜馬がゆく 五》
『人間というもの』PHP文庫
国盗り物語は、油売りから身を起して、
美濃一国を手中に収めた斎藤道三と、
その娘婿の織田信長の二人を主人公とした物語。
歳をとっての思い上がりは醜いが、
若いうちの思いあがりやうぬぼれは、ある面で必要だ。
年齢を重ねてもなお、うぬぼれているのは、
自分の実力がまだわかっていない浅薄な人間とみなされる。
しかし、若者はまだ、これからだ。
思い上がりは、自らの実力以上の力を出し、
時に一生分の輝きを放つことがある。
南妙法蓮華経とは、「わたしは、いま帰依します」との意味だが、
お経をとなえていると、
「思い上がり」と同様に肚(はら)の底からわきあがる力が出てくる。
夢をみるときの、よい意味での陶酔状態とも言える。
また、坂本龍馬の人物評は星の数ほどあるが、
この「愛嬌がある」が一番いい。
運のある人、人からかわいがられる人には、愛嬌がある。
しかし、損得から発する愛嬌は、下卑(げび)たおもねりにすぎない。
突き抜ける青い空のような無心の笑顔は人を引き寄せる。
さわやかな「思い上がり」と、にこやかな笑顔、
そして愛嬌があれば、ひとかどの人物になれる。 |
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