2010.4.29 |
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片方のレールをひきはがす |
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唐津一氏の心に響く言葉より…
運命は人生の半分を決定するが、残る半分は、
われわれの手にまかせられている。
『君主論』(第二十五章)マキャべリ
マキャべリは君主論をつうじ、
運命はみずからの手でコントロールすべきものであり、
それは可能だと主張している。
このことは、今日においてはとくに目新しくは感じられないかもしれない。
だが、ローマ法王庁の君臨する中世の暗黒時代においては、
これを口にすること自体、たいへんな勇気を必要とすることであった。
アメリカにチェサピーク・アンド・オハイオ鉄道
(現在は合併してCSXトランスポーテーションという鉄道会社)という会社がある。
この会社が生き残りをかけて打った手は色々だが、
とくにユニークだったのは、線路の複線を単線にしてしまったことである。
鉄道のコストの最大のものは、線路である。
単線にすればコストはもうれつに下がる。
考えてみると、複線の必要は、列車がすれ違うときだけである。
それ以外は単線でよい。
そこで、片方のレールをひきはがしてしまった。
もちろんそれを実行するまでには多くの反対があったが、
断行したとたんに黒字になってしまった。
『マキャべリの経営語録』PHP文庫
我々は、多くの場合、様々なものを引きずって生きている。
「これは、親の代から決められていることだから変えられない」
「売れなくなってきたが、この商売は続けなければならない」
「生まれた場所だからここで生きる」
あまり深く考えもせずに、何年も何十年も続けていることは多くある。
「せっかく2本作ったレールをなぜ一本に減らさなければならないのか」
「効率は悪いかもしれないが、鉄道はレールが命だから残したい」
と、過去のしがらみや、情緒的な感傷に流されていないだろうか?
「これは、運命だから仕方がない」とはじめから、あきらめてはいないか?
どんなに絶対的に決まっていると思われることでも、一度疑って見る必要はある。
決まっている運命もあるだろうが、変えられる運命は半分もある。
自分の中に、使っていないレール、効率の悪いレール、
さび付いたレールが何本かあるとしたら…
勇気を持って、一度、
「レールをひきはがす」ことを考えてみる必要がある。
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