2010.4.25 |
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贈りがいのある人 |
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山崎武也氏の心に響く言葉より…
人にものをあげたとき、うれしそうに感謝されると安心する。
相手が喜ぶと思って、つくったり選んだりしたのであるから、
その目的達成を目の前で確認し、満足する。
しかし、あとから一抹の不安を感じる。
本当に喜んで食べただろうか、使っているだろうか、
ということがわからないからである。
しかし、わざわざ相手に対して、
「おいしかったか」とか「便利につかっているか」などと、
しつこく聞くわけにはいかない。
ものを贈った側のそのような心理状態を考えると、
もらった側としては、どのように消費したか、
どのように使用しているかを、相手に伝えるのが親切だ。
こんなに喜んでくれるのであれば、また何かを贈って喜ばせようとも思う。
「贈りがいのある人」とおもわれるのである。
ものをもらったら、上手に喜んでみせるのも、重要な処世術のひとつである。
『ちょっとした気の使い方93』知的生き方文庫
自分の気に入った本や、CDなどを
人にプレゼントしてみるとわかるが、
意外に贈った相手からの反応が少ないのに気づく。
贈った側としては、「どんなに喜んでくれているかな」とか
「感動してくれたかな」とか、
反応を聞いてみたい気持ちでいっぱいなのに…
では、自分が逆の立場になったとき、
いただいた相手に対していつも謝意や感想を述べているか、
というと、残念ながらそうでもない場合が多い。
ことほどさように、贈る側と、もらう側では意識が違う。
これは、物ではなくて、情報でも同じことが言える。
例えば、感動した映画や、おいしいレストラン、はやっている店…
「あの映画よかったよ」などと、教えたとき、
「すぐに見に行ったけど、あれよかったね!」などと連絡があると、
ほんとうにうれしくなる。
自分が役に立った、と自己重要感が増すからだ。
逆に、「あの講師の講演よかったよ」と教えても、
「ああ、知ってるけど、たいしたことないね」などと言われたら、
「もう二度と教えるものか」と思ってしまう。
人はみな、自分は「価値ある存在」でありたいと願う。
あなたのお陰で楽しかった、うれしかった、
と言われることほど幸せなことはない。
ほんのささいなことでも喜んでくれる、
「喜び上手」な人にはもっと何かを贈ったり、教えたりしたいと思う。
しかし反対に、喜び下手な人には、
ますます贈り物や、情報がいかなくなる。
いつでも…
贈りがいのある、喜び上手な人でありたい。 |
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