2010.4.16 |
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針のさきほどのことでも棒のように喜ぶ |
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松下・井植の二人の偉大な経営者に仕えた、後藤清一氏の心に響く言葉より…
世間では、松下幸之助さんを“カミソリ”にたとえ、
井植歳男(いうえとしお)さんを“ナタ”にたとえていたものだ。
が、ご両人とも“カミソリ”のような切れ味と細やかさ、
そして“ナタ”のような鷹揚(おうよう)さと豪胆さ、
この両面を合わせ持っておられた。
たとえば、社員と食事をなさるときなど、漬物好きの井植社長の器には、
他の人よりもちょっと多めに漬物を盛ってさしあげておくと、
「おっ、よう気ィつけてくれたな」。さらに「この漬物はうますぎるな。
もう一杯食わないかんな、飯を」とおっしゃったものだ。
井植歳男さんは、
そういうふうに、ちょっとした人の心遣いを、見落とさないで感じ取り、
針のさきほどのことでも棒のように喜んでみせる、そういう人柄であった。
だから、周囲の者に“世話のし甲斐”を感じさせ、喜ばれたのだ。
他人の心遣いのわかる人は、
自分もまた他人に対して同様の心遣いをする人だというが、
井植のオヤッサンもまた、そうであった。
「おい、後藤クン、久しぶりに一緒に風呂入ろうか」と井植社長がおっしゃる。
銭湯で、私の背中を流してくださる。
「なんじゃおまえ、やせとるやないか。
……仕事で心配ばかりかけとるからやろな。
よし、おまえがもっと肥えるようにな、オレも気ィつけるわ」
そういういいかたをサラッと素直になさる人だった。
背中を流されつつ、私はあやうく泣きそうになったものだ。
『人生は気合でっせ!』明日香出版社
松下幸之助さんは松下電器の創業者であり、井植歳男さんは三洋電機の創業者だ。
その二人は、義理の兄弟であり、途中までは同じ松下電器で絶妙のコンビで経営にあたっていた。
二人は気配りの名人であったという。
人の好意や気配りを、大げさに喜んでくれる人とそうでない人がいる。
その人のサプライズのパーティーを催したのに、
さして喜ばないばかりか、皮肉を言ったり、相手の気持ちを冷やすようなことをいう人だ。
反対に、ちょっとした気遣いをしっかりと感じ取り、
針のさきほど小さなことでも棒のように喜んでくれる人もいる。
喜ぶのが上手な人だ。
自分が常に気配りをしている人は、気遣いをしてくれる人の気持を痛いようにわかる。
だから、喜び方も上手なのだ。
「喜ぶのが上手な人」には、もっと喜ばせてやりたい、
何かをしてあげたい、と思うのが人の常だ。
どんなにささいであろうと、プレゼントをもらったら、
満面の笑顔で喜び、感激する人。
誰かに何かいいことがあったら、
一緒になって飛び上がって喜んでくれる人。
そういう人には抗(こう)しがたい魅力がある。
感動や驚きのない人は寂しい。
感動がない人は…
感じ方が鈍い人。
人のつらさや、痛みをわからない人。
人の喜びを共に喜べない人。
素直でない人。
そういう人は、気配りや気遣いが苦手だ。
「針のさきほどのことでも棒のように喜べる」
そんな、気配りあるれた、喜び上手な人でありたい。
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