2010.4.15 |
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霊の落としかた |
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齋藤一人さんの心に響く言葉より…
霊が憑(つ)いたら、早く落としたいとか思っちゃだめなの。
霊が憑いたらどうするかっていうと、
「ゆっくり憑いてなよ、これからうまいもん食うからさ。一緒に食べてな」とか。
簡単に言うと、浮遊霊で幸せだった奴っていないんです。
浮遊霊で絶好調ですとかね、いません。
不平、不満、愚痴、泣き言、それの固まりみたいなの。
陰と陽は同居できないんです。
よく、こういう人いるじゃない。
あそこに霊がいた、怖い怖い、って言ってる人いるでしょ。
あれ、霊感あるんでもなんでもないよ。
ただ霊に弱いの。怯えてるだけなの。
霊の見える人だと、「幸せだなあ」とか、
「今日はこれからうまいもんでも食おう」って言ってると、ピュ−って成仏する。
それで、自分に憑いた霊が、ピュー、ピュー、ひとつ上がるたんびに、
それが守護霊みたくなって、今度は自分のことを守りだす。
よくこういう人いるじゃない。
私はね、霊感があって、いろんな人の霊を取ってあげたせいで、
自分がその人たちの因果を背負って、病気になった。
おかしくない、それ。(笑)
だって、人助けしたら病気になるんだ。
人助けすると、悪いこと起きるんだ。
そんなこと考えられないよ。
一人ずつ調べてみな、助かってないから。
あんた、助けたつもりになってんだよ。
だって、人助けしたら、いいこといっぱいあるんだよ。
『絶好調』kkロングセラーズ
霊の話は、信じる人もいれば信じない人もいる、けっこう怪しい話だ。
しかし、信じない人でも、これを霊ではなく、
相手の「嫌な感情」、「非難」、「不平」、「不満」、「愚痴」だと思ったらどうだろう。
相手が、悲しんだり、怒ったりすると自分まで相手と同じように、
悲しみ、怒り、そのあげく、がっくりと疲れてしまう人がいる。
相手の感情に入り込みすぎる人だ。
人の気持に同調して一喜一憂する。
相手の喜びや、うれしい気持ちを受け取り、共感することは必要だ。
しかし、相手の「嫌な感情」や「不平」や「怒り」を受け取ってもいいことは一つもない。
サンドバックや、ゴミ箱のようになるだけだ。
一人さんがいう、霊を怖がらない、というのも「嫌なものは受け取らない」、と同じことだ。
怖がるのは、その存在を肯定し、受け取っている。
だから気にした時点で、その霊が入り込む。
つまり、相手の「嫌な感情」や、「悲しみ」、「怒り」が自分に入り込む。
その霊を落とす、つまり、相手の「悲しみ」をなんとかして明るくしてやろうと思うことは、
かえって事態を悪化させる。
自分が相手の悲しみや怒りと一体になってしまうからだ。
それよりも、自分が、「ツイてる」とか、「うれしい」、「たのしい」、
「感謝してます」、「しあわせ」、「ありがとう」と言っていれば、つられて相手も一緒に明るくなる。
そこに笑顔と笑いがおこる。
相手に共感することは必要だが、それが行き過ぎて、過度に感情移入することはマイナスだ。
嫌な言葉や、嫌なこと、気分の悪いことは受け取らないこと。
それは、冷たいことでもなんでもない。
自分をきちっと守る自立した大人の振る舞いだ。
人はどうあろうと、自分が常に明るく、笑顔と感謝で生きる。これこそが、本当の人助けだ。
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