2010.4.6 |
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人生は一度きりの晴れ舞台 |
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エッセイストの坂崎重盛氏の心に響く言葉より…
社会生活は一つの舞台である。
とくに、それで報酬を得また人間性をも問われる。
仕事の場などは、舞台も舞台、
人生における歌舞伎座やアポロシアターやオペラ座のようなものである。
「晴れ舞台」なのだ。
その一挙手、一投足が人視(じんし)のなかで行われ、
一つ一つの行動がその人の人間としての評価に結びついてゆく。
仕事の場が、このような大事な舞台だとすれば、
その舞台でドラマを演じる役者が、まったくの素顔で、
しかも役者の“地”の性格や気分で舞台に上がることはふつう考えられない。
ナンセンスである。
ところが愚かにも実人生では、
仕事という大舞台の場にノウノウと“地”のままで登場してくる輩(やから)がいる。
不用意というか不心得というか、素顔ヌーッと人前に出てくる人間がいる。
この警戒心のなさぶり、
鈍感さぶりはどのようにしたら身につくものだろうと思わせるほどである。
正直に生きるのはたしかに素晴らしことだ。
しかし、これは未熟な人格をそのままムキ出しで周囲に押しつけることではない。
ナマのままの自分を出して、それが美しく、
他人に不快を与えないというような人は、よほどまれな人である。
それを、自分のナマのままが素晴らしいなどと、
錯覚していたりすると、周囲の人間は大変な迷惑をこうむることになる。
いわば“歩くトラブルメーカー”となる。
よくいえば、個性的、悪くいうと自分勝手、ムキ出しの自分の姿をさらけ出す。
仕事のできる人、人に対するサービス精神のある人は例外なく、
それぞれが自分の個性を生かした名優である。
自分の言動をどこかで、もう一人の自分が客観視し“演技力”を磨いている。
『なぜ、この人の周りに人が集まるのか』PHP文庫
人は時として、何もかも放り投げたくなる心境に陥ったり、
怒りがフツフツとわいてきたり、キレそうになってしまったりする。
特に、勢いがある若いときは、
このムキ出しの未熟な自分を出してしまうことがある。
捨て鉢(ばち)になり、どうでもいいやと、なげてしまう。
「オレはオレだ」とか、「関係ねぇ」と。
しかし、これを仕事の場でやってしまったら、おしまいだ。
そんなときは、自分のことしか考えられない。
いわゆる、自暴自棄の、自己中心的な考え。
だから、誰に見られようと関係ない。
そういう姿をみて格好いい、とカン違いする若者も出てくる。
しかし、それは、舞台ではウケない。
人生という舞台は、素顔のママで出演できるほど甘くはない。
舞台からは暗くて見えにくいが、多くの観客が見守っているのだ。
観客は、上演中はひと言も文句を言わないが、
舞台が終わり、外に出てから鋭い批判をする。
だからこそ、自分をもっと客観的にながめ、
人前で恥ずかしい演技をしていないか、もう一度確かめてみる必要がある。
毎日の舞台に、演技力も磨かず、
不用意に出てくるのは、あまりにも舞台をナメている。
舞台に上がる前には準備が必要。
人生は一度きりの晴れ舞台なのだから。
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