2010.3.27 |
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日本人がプライドをもつには |
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歴史学者の会田雄次氏の心に響く言葉より…
日本人がプライドをもつには…
諸外国から浴びせかけられている日本批判を完全に無視、
拒否することから始めるべきだ。
知る必要はもちろんあるけれども、である。
理不尽な批判などは論外として、
一応正しいと思われるようなその意見も、とにかくまず全面的に否定。
日本批判に同調したりしている国内の連中のいうことも一切きかない。
そして、自分の頭で考えること。
逆説的な言い方に聞こえるかもしれないが、
これは猿真似、欧米迎合だけで、
あまりにも主体性がなさすぎる日本人には不可欠な行動なのだ。
たとえば、労働時間を減らせとか、
レジャーを増やせとか、そんなことは他人がいおうというまいと、
自分が嫌なら休めばいいし、好きなら遊べばいい。
必要なら働くべきである。
国にもそれぞれ事情があり、国のプライバシーといったものもある。
よそからの干渉がましい注文にあわてふためいて同調する必要は毛頭ない。
しかるべき要求には交渉を重ね妥協することは国際上必要であるにしてもである。
なぜなら、先進国の日本に対する批判は、
そのほとんどが侮蔑感と人種差別感と宗教的偏見に端を発しているからだ。
それに「俺たちは戦争で勝ったのに、
その敗戦国民、日本人ふぜいが金持になって威張るのはけしからん」
という優越感が加わる。
そんなものに屈服する必要は毛頭ない。
開発途上国は途上国で、劣等意識からくる嫉妬、
反発から、日本にさまざまな指図と要求をつきつけてくる。
これも拒否。
要するに、まったく自分自身の自主的判断で、
日本はどう生きていくかを考えるべきなのである。
『よみがえれ、バラサの精神』 PHP文庫
会田雄次氏は京都市に生まれ、京都大学を卒業した。
その後、ビルマ戦線に一等兵として従軍したが、イギリス軍の捕虜となった。
その時の悲惨な捕虜体験をもとにした著書が『アーロン収容所』だ。
昨今の日本人は、自虐的考えを好む。
海外から何か言われると、すぐに反省してしまう。
反省することは必要だが、反省しすぎると自らを虐(いじ)めるという、自虐になる。
我々は、海外からでなくても、周囲の人たちの評価をつねに気にしてしまう。
人にどう見られるか、人がなんと言っていたのか、が気になって仕方がない。
自信がないからだ。
自信をつけるには、自らにプライドをもつことだ。
プライドとは、誇りであり、自尊心であり、名誉を重んじる心である。
会田氏のいう、海外からの一切の批判を完全に無視するとは、
過激な考えだが、ある場面では必要なのかもしれない。
なぜなら、国や、人の名誉や誇りは、侵すべからざるものであり、
断じてそれを傷つけてはいけないからだ。
相手を大事にしない人は、相手からも大事にされない。
人を批判する人は、自らも批判されることを覚悟しなければならない。
かくして、批判の連鎖がはじまる。
その批判の連鎖を止めるには、それを無視することだ。
そして、誰が何をいおうと、自らが正しいと信じた道を往く。
それが一時的には独善的にみえたとしても、
理や、義や、仁や、礼にかなっているなら、そしりはうけない。
出る杭(くい)は打たれる。
何事も、目立てば批判はあるものだ。
善人は、批判を気にし、悔やむ。
そして、それをあまり、聞きすぎると自分を痛めることになってしまう。
自分を守り、プライドをたもつには…
反省も大事だが、時には、批判を一切無視することも必要だ。
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