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2010.3.26

「あきらめない」という選択がある

メイシーズ百貨店の創業者メイシーの素敵な話から…


アメリカ人なら誰もが知っているメイシーズ百貨店。
1858年にこの店を創業したのが、R・Hメイシー。

メイシーは、マサチューセッツ州で、船長の息子として生まれ、
15歳のときに捕鯨船に乗ったのが最初の仕事だった。

4年間を船の上ですごし、
そこで稼いだ500ドルをもってアメリカに帰ってくると、
それっきり船には乗らなかった。

それから、いくつか臨時雇いの仕事をしたあと、印刷所に勤めた。
だが半年しか続かなかった。

つぎに、小売業をやってみようと決心し、ボストンに小間物屋を開いた。
熱心に働いたが、この店は、一年ともたずに倒産した。

翌年、再び、今度は衣料雑貨店を開店したが、またしても失敗。

次に、カリフォルニアの金鉱脈のことを耳にして、
そこに鉱山労働者向けの物資を売る店
「メイシー・アンド・カンパニー」を開店した。
この店はかなり繁盛したが、
金が採れなくなると、労働者がいなくなり、店は立ち行かなくなった。

次に、マサチューセッツ州ボストンの町で、衣料雑貨店を開いた。
しかし、この店もうまくいかず、閉店に追い込まれた。

それでも、彼はめげず、翌年また新たに店を開き、
その町の最低価格で商品を販売した。
しかしながら、彼の創意工夫と気の利いた広告、
熱心な働きにもかかわらず、この店もうまくいかなかった。
小さな町で3年間苦闘を続けたあげく、
メイシーは店を売却し、破産を申し立てた。


この時点で、メイシーは小売業から撤退することを決意する。
しばらく、株式仲買人や不動産ブローカーをして働いた。

その後、友人に説得されて、もう一度小売業に挑戦してみる気になった。
これまで、5つの職業を経験し、これが小売業での7度目の挑戦だった。

メイシーはマンハッタンで勝負をしようと決心した。
そしてこれが、とてつもない大成功へとつながる。

当時からニューヨークはアメリカ最大の都市であり、人口は95万人だった。

1858年、メイシーはしゃれた衣料雑貨店をオープンした。
そしてわずか一年で、8万ドルの収入を上げた。
1870年代には、平均年商は100万ドルを上回るようになった。

『一勝九敗の成功法則』ジョン・C・マクスウェル(齋藤孝訳)知的生き方文庫


成功とは、成功するまであきらずに、やり続けた人だけに与えられた特権だ。

この、メイシーにも、
あきらめるざるをえないような不幸な出来事はいくつもあった。
たいての人は、そこであきらめる。

しかし、夢と、希望を持ち続ける人、
そして、誰かのせい、環境のせいにしない人は決してあきめない。


小売業や飲食業は、同じ商品ややり方をしても、
立地によって大きく左右される場合が多い。

立地がほんの数百メートル違うだけで、大繁盛することもある。

しかし、この数百メートルの差は、誰もわからない。
やってみた人だけにわかる差だ。

また、立地だけでなく、商品のほんのちょっとした差、
ネーミングだったり、価格だったり、売り方だったり、量だったり、
で売上が大きく変わることがある。

しかし、これもはじめからわかっている人など一人もいない。
試してみて、初めてわかることだ。

成功は、失敗のほんの少しだけ先に眠っている。
あきらめない人だけが、その栄光を手にすることができる。

失敗した時、我々には、「あきらめない」という選択がある。



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