2010.3.25 |
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高松の殿さま |
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童門冬二氏の心に響く言葉より…
江戸時代、高松にいた殿さまは松平といった。
松平の殿さまは代々経営者が多く、
地場産業を振興することに努力していた。
九代目の松平頼恕(よりくみ)の殿さまは、
時折食膳にのる鯛を見て、家臣に聞いた。
「この鯛は非常にうまい。どこでとれるのだ?」
家臣は答えた。
「お城の前の海でございます」
「海にいるということは天の与えたものだ。活用しない手はないな」
そこで、家臣に言った。
「どうだろう?藩の財政を富ませるために、ひとつ鯛を飼ったらどうだ?」
家臣は首を振った。
「鯛を飼うのは難しゅうございます。
鯛は海で生きるのがならわしになっておりまして、
とくに潮の流れが激しくないとダメだそうでございます。
潮の流れが激しいだけでなく、
潮の満ち引きも大きく関係するようでございます。
やはり、自然の海にまかせておいたほうがよろしゅうございます」
これを聞いて、この殿さまは、「そうかな…」とつぶやいた。
彼は不満だった。が、すぐに無理強いはしなかった。
というのは、この殿さまはこう考えたのである。
「鯛を飼う前に、この家臣たちの頭の切りかえをしなければだめだ」
殿さまは、家臣たちのいうことを聞いていて、
「あまりにも既成概念にとらわれすぎている」と思ったのだ。
殿さまは、ある日家臣にいった。
「池の水を、全部海水にしてくれないか」
そして、
「この中に鯛を入れてくれ」
たくさんの鯛が池の中で泳いだ。
翌日、
「池の中に少し真水を混ぜてくれ」
殿さまは、毎日少しずつ真水を池に入れさせた。
とうとう、池の水は全部真水に変わってしまった。
しかし、鯛は泳ぎ続けている。
これを見て、殿様がいった。
「どうだ、鯛は塩辛い水ではなく、真水の中でも泳いでいるではないか」
やがて、鯛の養殖がはじまり、藩の名物になったという。
『男の器量』三笠書房より抜粋転載
我々は、既成概念にとらわれすぎている。
「新しいことができないか」と問われた時、たいていの人は否定から入る。
これとこれがあるから難しい。
何々があるからできない。
できない理由ばかりを探してくる。
また、この家臣たちのように、
武士が鯛の養殖なんかできるか、と変なプライドがじゃますることもある。
それは、私の担当ではない、自分の専門分野ではない、と。
我々の日常は、ほとんどが何かを守り、継続することで成り立っている。
しかし、何かを変え、今までの連続を断たなければ、
生き残っていけないことがある。
大きな変化とは、不連続だからだ。
ある日、突如として変わる。
その変化に対応するには、既成概念を取り払うしかない。
できない理由を探すのではなく、どうやったらできるのか…
できないというその一つ先に、一歩ふみ込めば、そこに答えがある。
一歩ふみ込んで、だめなら、また一歩ふみこむ。
既成概念は、ハンマーで大きく壊すのではなく、小さなのみで、コツコツと削っていく。
しかし、小さな穴があけば、それはあっというまに大きな穴になる。
なんだ、こんなことに、囚(とら)われていたのか、と気付く。
既成概念という壁の向こうに、新しい世界が待っている。
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