2010.3.23 |
|
まず隗(かい)より始めよ |
|
宮城谷昌光(みやぎたにまさみつ)氏の心に響く言葉より…
郭隗(かくかい)は、昭王から国の再建を相談されたとき、こう言った。
どんなトップが最高かというと、師をもつトップである。
教えを乞う姿勢をはっきりみせるトップである、と。
そして、「死馬の骨を買う」の話をした。
『死馬の骨を買う』
むかし、ある君主が、千里の馬を探し求めていたが、
三年ったても、手に入れることができなかった。
すると、ある官人が「私がさがしてまいりましょう」と申し出た。
君主はその男に千金をもたせてやった。
官人は三ヶ月かかって、千里の馬をさがしあてたが、
すでに馬は死んでいた。
官人は、死んだ馬の首の骨を、五百金で買い、もちかえった。
当然、君主は怒った。
しかし、この官人は自分の行為の波及効果を知っていた。
つまり、「死んだ馬でさえ、五百金でお買いになったのです。
まして生きている馬なら、もっと高く買ってくださるでしょう。
天下の人々は、そう思ったにちがいありませんから、
今に千里の馬がやってまいりましょう」
と、言ったのである。
はたして、一年もたたないうちに、千里の馬が三頭も集まった。
この話を聞いた昭王は、千里の馬というのが、
すぐれた人材のことであることは、すぐにわかったが、
馬の首にあたる人物がどこにいるのかわからない。
そこで昭王は、どなたを師として仰いだらよろしいのか、とたずねた。
それにたいする郭隗(かくかい)の答えが、
「まず隗(かい)より始めよ」であった。
「私を師としなさい」と言ったのである。
私のごとき小才の者が、燕(えん)で破格の待遇を与えられたときけば、
私の百倍も才能のある人物が、
各国からすぐにやってきましょう、というわけである。
これは当時のコマーシャルであったと思えばよい。
この宣伝は図にあたって、そうそうたるメンバーが燕国へやってきた。
彼らは昭王の経営を助け、二十八年後には、
大企業にまで発展した燕は、ライバルの斉国を、
完膚なきまでにやっつけてしまった。
『中国古典の言行録』文春文庫
昔も今も、国の運営や、企業活動において、宣伝は大事だ。
どんなに、画期的で、優れた商品であっても、
それを誰も知らなければ一つも売れない。
知らなければ、ないのといっしょだからだ。
しかし、世間に「名馬を求めている」と、ただ宣伝しても名馬は集まらない。
死馬の骨を高く買ったからこそ、その本気が伝わり、名馬が集まる。
「まず隗(かい)より始めよ」とは、
本来の意味は「大事をなすには、まず身近なことから始めよ」だが、
最近では、「物事は言い出した者から始めよ」、という意味になっている。
いい商品には、いいイメージがある。
そのいいイメージが長く続いているものを、「ブランド」という。
これは、商品だけでなく、人も、会社も、同じだ。
「よい師をもつ」とは、常に勉強する姿勢があることだ。
いくつになっても、教えを乞い、謙虚で、自分を高める姿勢がある。
常に、勉強する姿勢がある会社、
向上する意欲のある会社には、いい人材が集まる。
そして、よい顧客やファンが集まる。
よいイメージがあるからだ。
優秀な人材がほしいからといって、
広告で「優秀な人材募集」と書いても集まらない。
遠回りのようだが会社に、勉強する姿勢や、
人材を厚遇する姿勢があることを世に伝えることだ。
例えば会社として、講師を呼んで講演会を開催したり、勉強会を催す。
あるいは、トップが夢や、想いを常に発信する。
会社も人もよいイメージをつくること。
それを表面的なところでなく、本質的なところで本気を示し、伝える。
これが本来の意味の、「まず隗(かい)より始めよ」だ。 |
|
|